【医学古今】 生薬の修治と人間の良心

2014年05月21日 07時00分

【大紀元日本5月21日】自然の植物はそのまま乾燥して生薬として使ったり、手を加えて加工してから使う場合があります。この加工の過程は修治(しゅうじ)あるいは炮製(ほうせい)と言います。

 修治の目的は不用部分を除去すること、長期保存を可能にすること、有効成分を強化し不要な成分を抑えること、毒性を緩和して使いやすくすることなどがあります。

 修治の方法は選別、粉砕、切断、搗き潰し、磨り潰しなどの機械加工以外に、火を使って焼く、炒める、炙るなどの方法もあれば、水を使って洗う、漬ける、沈殿分離するなどの方法もあります。更に水と火を同時に使って茹でる、蒸す、煮るなどの方法も使います。

 生薬の修治は薬の効果に強く影響するため、昔は非常に厳しく要求されていました。例えば乾地黄(かんじおう)から熟地黄(じゅくじおう)に加工する場合、九回蒸して九回乾かす必要があり、修治過程には、かなりの時間と労力が必要です。面倒な作業の手を抜くかどうかは、修治する人の良心にかかってきます。

 最も有名な漢方薬の老舗である「同仁堂薬店」には、かつて「修合無人見、存心有天知」という家訓がありました。つまり、生薬の修治や調合などは人に見られていないが、調合する人の心は天が知っているということです。天を恐れている人なら、いくら面倒な修治であっても、決して手を抜くことはありません。

 現代では、天を信じる人も少なくなったので、このような家訓もほぼなくなりました。
 

(漢方医師・甄 立学)

関連キーワード
^