絶えず変化する雲のように、自然に任せよう

【大紀元日本2月7日】天上の雲を観察したことはありますか?よく見れば、雲は花の形になったり、木の形になったり、常に変化していくことがお分かりになるでしょう。もし、あなたが花の形に固執すると、当然、挫折してしまいます。なぜならば、花の形はまもなく消えてゆき、ほかの形に変わっていきます。これが雲の本質なのです。

生命も同様で、ずっと「変化」している状態にあります。例えば、事情が変わったり、健康が変化したり、昨日まで居た人が、今日になったらもう居無くなったとか、あらゆることがひっきりなしに変化していて、生命の中で不変なものは何もありません。

しかし、私たちはすでに「習慣」で周囲の人、物事を評価するようになってきました。変化が生じたら、災難だと見なします。その上、得られたら嬉しく思い、失ったら失望するなどの「習慣」を、喜楽をコントロールする執着に転化させてしまいました。世事はもともと変化し無常なので、自分を不安定でしかも幻のものに託すことは、流砂の上に家を建てておいて、永遠に安定している巣を渇望することのように、不可能ではないのでしょうか?世間の万物は「得」と「失」の過程に属するのであって、最終的に、「失」はこの過程の必然的な結果になります。「失」という結果が人を挫折させたのではなく、人間は妄念、期待と欲望を、この常に変化していく世間に築き、無理に押しつけたため、すべての苦痛を嘗めさせられました。

人間は変わっていき、事は変わっていき、物は変わっていき、世の中、あらゆることは雲のように、絶えず変化していくのです。それゆえ、物事に執着せず、自分に難題を造り出さないように心がけて、雲が花の形になっても、木の形になっても、自然に任せよう。執着を生じさせず、この世を見透かし、穏やかな心境で絶え間なく変化する物事に対処しましょう。

人間はいつも「解脱することは難しい」と言うのですが、実はそうではありません。執着を放下することさえできれば、直ちに解脱することができます。そうではないのでしょうか?

(翻訳編集・李頁)