女媧の功績

天が崩れた原因、女媧が天を補修した経緯について、二説がある。『列子』湯問には、「天地も物である。物には不足がある。ゆえに昔女媧が五色の石を煉ってその欠けたところを補い、鰲の足を切ってそれをもって四極を立てなおした」とある。この「天地不足」説は一家言とされつつもそれほど影響力はない。これに対し、『淮南子』天文訓の記述は古来広く認められている。
2018/03/25

「女媧」人類創造の女神

盤古が天地を切り拓いた後の世は、人間などの生命がおらず、荒涼たる世界であった。そこで、人類の創造主である女媧が盤古に次いで中国文明史に登場した。女媧は人を造るばかりではなく、創世や文化伝授なども行った。彼女の主な功績は、土を捏ねて人を造る他、石を練って天を補修して人を救うこと、婚姻制度を定めて人類を繁殖させること、笙簧を発明して人類を教化することなどが挙げられる。
2018/03/18

民間で口頭伝承されていた盤古神話

盤古は、天地創造の神として、人類創造の神である伏羲や女媧よりも前に存在したはずである。しかし『史記』(前漢時代)や『風俗通義』(後漢時代)に伏羲と女媧についての記述があるが、盤古に関する記載はなかった。盤古については三国時代呉(3世紀)の徐整が編集した神話集『三五歴紀』にはじめて記述された。
2018/03/12

その他の代表的な流派――思想文化の多彩多様化へ

法家とは、徳治を説く儒家と異なり、法的統治を政治の根幹におく一派。秦の孝公に仕えた商鞅や韓の王族の韓非がその代表である。彼らは厳格な法を作ってそれに基づいて国家を治めるべきと主張する。
2016/05/19

老子と道徳経――中国思想文化の神髄

老子は、中国古代の思想家であり、諸子百家のうちもっとも代表的で、中国文化の中心をなす人物の一人である。彼の思想によって、道家そして道教が生まれ、人類文化思想史における影響はきわめて大きい。
2016/05/18

孟子と荀子――儒学の発展と変容

 孟子(前372年?~前289年)は戦国時代の魯(山東省)の人であり、思想家で孔子に次いで亞聖と称される儒教の重要な人物である。そのため、儒教はまた「孔孟の教え」とも呼ばれる。
2016/05/17

孔子と儒教――中国思想の一源流の形成

孔子(前551~前479)は、儒教の創始者である。生年は一説に前552年といわれ、名は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。魯の国(山東省曲阜)に生まれた。 先祖は殷の王族の子孫である。幼少のころに両親をうしなった。「吾、十有五にして学に志す」(『論語』為政篇)に示されるように、孔子は年少の頃より勉学に励み、貧賤のうちに成長して魯の官吏となり、大司寇(だいしこう)という地位にまでのぼりつめた。
2016/05/16

春秋戦国時代と百家争鳴 ――戦乱と叡智の共演、さらなる展開への準備

春秋戦国時代は、紀元前770年に周が都(鎬京)を洛邑(洛陽)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代である。この時代の周は従前の周と区別するため、東周または東周時代と称される。
2016/05/13

天道の探究と礼法の建立

殷の三公の一人、西伯昌(前1152~ 前1056)は善徳があり、仁政を行ない、かつ殷の法度をあらため、正朔(暦)を設定したなどの功績により、大臣から民まで尊敬されていた。しかし、西伯昌が善徳を積み重ね、諸侯の心がみな彼に向かっているので、暴虐な紂王は彼を羑里に幽閉した。
2016/04/12

邪道を討ち正道を建てるプロセス

紂の無道や残虐な暴政により、天下の民や諸臣下に背かれ、国は衰える一方であった。それにもかかわらず、紂は、王子比干の諫めや臣の祖伊のお告げを耳にせず、官員と人民が信愛する賢者の商容を辞めさせた。
2016/04/11

夏王朝の誕生に伴う徳政の建立

夏王朝は禹(う)が建てた古代の王朝である。紀元前2070年頃に興り、前1600年頃に殷(商)に滅ぼされた。始祖の禹は顓頊の孫であり、姓は娰(じ)という。禹は、父の鯀(こん)の後、たびたび氾濫して民を苦しめていた大洪水をおさめた功績により、帝舜から帝位を禅譲された。
2016/04/07

黄帝の主な文化的貢献と黄帝紀元

『黄帝内経』は、現存する中国最古の医学書である。黄帝が著したものとされているが、秦漢時代の成立であり、しかも著者は一人ではなく、歴代の黄老医学者の増補によってできたものと思われる。
2016/03/10

修煉して得道し昇天した黄帝

古書に記されている黄帝の人間像は多元的である。人文の始祖、聖徳の君主などのほか、求道者、修煉者、得道者ないし天帝という超人的な顔もある。これについて、道教の著書に記述がある。
2016/03/09

黄帝が広成子を訪れる

 黄帝は夢で華胥氏の国に遊んだことにより、道の体現とその偉力を垣間見た。真の道を得て修錬しようとして、黄帝は至道に達しているという広成子を訪れ、道の奥義を伺った。
2016/03/08

理想の国作りと華胥氏の国に遊んだ話

帝王の位についた黄帝にとって、天下をいかに治め、世の中をいかにして天人合一の理想的な状態にさせることができるかなどが、最重要な課題になった。『列子』黄帝篇第二では、理想の国を作るために自省しつつ道を求める黄帝の逸話が記されている。
2016/03/04

涿鹿(たくろく)の戦い―黄帝が中原を支配し歴史を変えた一戦

炎帝神農氏が治めた後期に、中原にある諸侯は互いに征伐しあい、戦いは止まなかった。涿鹿の戦いは、黄帝が他の諸侯を破った後、涿鹿で蚩尤を亡ぼし、中原を支配し歴史を変えた一戦である。
2016/03/03

『史記』の記述から黄帝を窺う

神話伝説上の三皇の治世を継ぎ、中国を統一した五帝の最初の帝は、黄帝(紀元前2717?~紀元前2599?)である。黄帝は紀元前2697年に即位し、20歳だったという。この記述から推算すれば、黄帝は紀元前2717年に生まれることになる。
2016/03/02

「八卦」の思想的根源と伏羲の中国文化への貢献

「易」という応用的な学問(哲学思想)の原理、その存在との関係および「八卦」の実用性について、『易経』繋辞伝上ではこう記されている。「宇宙が成り立つ初めに、天は尊く、地は卑く位置して、「乾・坤」という『易』の根本が定まった」ここでは「八卦」の成立を天地の創始に基礎づけているのである。また、「『易』には太極が有る。これが「両儀」を生み出す。「両儀」は「四象」を生み出す。「四象」は「八卦」を生み出す。「八卦」によって物事の「吉・凶」が定まる。「吉・凶」が大業を生み出すのである。」と記す。
2016/01/20

伏羲と「先天八卦」

一般的に、伏羲が画いたとされる「八卦」を「先天八卦」とし、文王が画いた「八卦」を「後天八卦」としている。「八卦」はまた「河図」と「洛書」とも関係しており、四者の関係については幾つの説があるが、ここでは主に伏羲の「先天八卦」を概観してみる。
2016/01/19

伏羲の位相―人と神との間

『太平御覧』巻七八に引く『詩含神霧』(著者不詳。前漢代の吉凶禍福や未来に関する予言の書である緯書の一つ。原書は散逸しており、清代の馬国翰編の『玉函山房輯佚書』に輯本が収録されている)に、「大きな足跡が雷沢にあった。華胥がその足跡を踏んで伏羲を生んだ」とある。雷沢は雷の神が住むところ(『山海経』海内東経に、「雷沢には雷の神があり、龍の体に人の頭」などの記述がある)であるゆえ、伏羲は当然ながら雷神の子なのである。
2016/01/15

伝説上の最初の帝王―伏羲

伏羲(伏義、伏儀という表記もある。前3350年?~前3040年?)は、古代中国の伝説と神話に登場する神、または伝説上の帝王である。伏羲は風姓、別名に宓羲、包犠、庖犠、伏戯などがある。伏羲に関してはさまざまな説があるが、「三皇」の一人に挙げられ、中華民族の人文の始祖と崇拝されることにほぼ異論はないようである。
2016/01/14

女媧の人類造りにおける「性」の問題

女媧が天を補修し、婚姻制度を設立し、楽器を発明したことについて、古書の記述や伝説に相違点があっても、内容的・ロジック的に相互矛盾するところはそれほどない。  これに対し、女媧の人類創造の方式において、かなり背馳している。すなわち、女媧は一人で土を捏ねて人を造った説と、伏羲と共に人間を繁殖させた説、という二つの系統に分けられ、後者にはさらに兄弟結婚などさまざまなバリエーションに展開されている。
2015/12/11

女媧神話の起源地および女媧信仰の流伝地域

女媧神話は、ほぼ中国の全域に広がり、中国人であれば知らない人がいないほどである。女媧神話やそれに関連する文化遺跡などを記述する主な著書に、『山海経』、『路史』、『太平広記』、『世本』、『述異記』、『揮塵記』などが挙がられる。
2015/12/10

女媧の功績

天が崩れた原因、女媧が天を補修した経緯について、二説がある。『列子』湯問には、「天地も物である。物には不足がある。ゆえに昔女媧が五色の石を煉ってその欠けたところを補い、鰲の足を切ってそれをもって四極を立てなおした」とある。この「天地不足」説は一家言とされつつもそれほど影響力はない。これに対し、『淮南子』天文訓の記述は古来広く認められている。
2015/12/09

女媧ー人類創造の女神

盤古が天地を切り拓いた後の世は、人間などの生命がおらず、荒涼たる世界であった。そこで、人類の創造主である女媧が盤古に次いで中国文明史に登場した。女媧は人を造るばかりではなく、創世や文化伝授なども行った。彼女の主な功績は、土を捏ねて人を造る他、石を練って天を補修して人を救うこと、婚姻制度を定めて人類を繁殖させること、笙簧を発明して人類を教化することなどが挙げられる。
2015/12/08

民間で口頭伝承されていた盤古神話

盤古は、天地創造の神として、人類創造の神である伏羲や女媧よりも前に存在したはずである。しかし『史記』(前漢時代)や『風俗通義』(後漢時代)に伏羲と女媧についての記述があるが、盤古に関する記載はなかった。盤古については三国時代呉(3世紀)の徐整が編集した神話集『三五歴紀』にはじめて記述された。
2015/11/26

神話―中国文明の曙光

平成24年に『古事記』編纂1300年を迎え、日本では国家の成立、人類の誕生、天地開闢などがあらためて提起され、多大な関心が寄せられている。 同文化圏の中国でも近年、伝統文化のブームがしだいに高まり、その中で神話伝説への関心度が突出し、関連の研究も優れた成果を多く挙げている。しかし、裏付けとなるような詳細な資料の欠乏、マルクスの史的唯物論などに囚われているため、中国における神話伝説の研究、とりわけ宇宙創成や生命誕生など神話の根本的な問題に関しては、たいてい同じ唯物的次元で徘徊し、諸家の論考に小異はあっても
2015/11/24