大紀元時報
報道と宣伝

中国のジャーナリズムとは? 選択迫られる外国人教師(2)

2016年08月30日 11時00分
大学ではジャーナリストとしての理想に燃えていても、中国のマスコミ業界には、学生たちが在学中に身に着けた素養を生かす場所がない (JAAFAR ASHTIYEH/AFP/Getty Images)
大学ではジャーナリストとしての理想に燃えていても、中国のマスコミ業界には、学生たちが在学中に身に着けた素養を生かす場所がない (JAAFAR ASHTIYEH/AFP/Getty Images)

 グーグル、百度、Bing 検索エンジンの偏りを知る

 ソーシャルメディアのクラスでは、学生たちにグーグル、百度、Bingなど異なる検索エンジンを使わせ、その検索結果を比較させた。

 「この授業は、非常に示唆に富むものとなりました。学生に、検索エンジンの偏りを理解させる一助になるからです。仮にインターネットで『ダライ・ラマ』という言葉を検索したときに、最初のページに提示された検索結果のすべてが「テロリスト」や「分離独立」といったものであれば、この検索エンジンの背後にあるものが何かを理解できます。少なくともこの検索エンジンが、誰かからコントロールされていることが分かるのです」。

 同氏は、こうした内容が中国では「政治赤線」に触れることは承知していた。だが曖昧な授業でお茶を濁すことはできなかったという。「規則に違反するかどうかではなく、ただ学生たちに、ジャーナリストにとって一番大切なことは、真実を追求することだということを知ってほしかったのです。真実を追求する過程で何らかの障壁にぶつかったときには、ジャーナリストとして、こうした障壁を合法的に回避し、さまざまな角度からできるだけ多くの情報を入手する方法を探る責任があります。そうしなければ、真実に近づくことはできません」。

学んだことを生かす場所のない中国人ジャーナリストたち

 グレン・モット氏も、フルブライト・プログラムで中国の大学に派遣された米国人ジャーナリストの1人だ。同氏は2008年、北京の清華大学新聞与伝播学院(ジャーナリズム・メディア学院)で教鞭を取るために渡中した。

 モット氏は、学校の常務副院長、李希光氏が言った言葉を今も忘れられない。「ドアを閉めてさえしまえば、中で何を話しても構わない。チベットだろうが、天安門であろうが台湾であろうが、学生たちによる報道にタブーはない。だが公の場所においては、言動を慎む必要がある」

 モット氏が学部生に対する講義で使用した教材は『The Elements of Journalism』だった。これはジャーナリズムを教える米国の大学の多くで採用されている教科書で、「ジャーナリストはまずニュースの信憑性について責任を負わなければならない。市民に忠実であらねばならない。マスコミは権力を監視する独立した機関でなければならない」といった、欧米諸国のジャーナリストが遵守すべき10の基本原則がまとめられている。

 モット氏は、中国で「ジャーナリズムの原則について講義するとき、たとえ「政治赤線」が存在していようが、他の国で教えるのと同じように授業を進めていると語っている。だがこれは、中国の学生たちが、将来ここで習った原則を実際の報道現場で活用できるということを意味してはいない。

 「いつもそのことが頭にありました。中国で実際に報道に従事する場合、ジャーナリズムの原則と対立することが多いのです」同氏はかつて、このような一文を残している。

 「彼らのようなジャーナリストの卵が、70万ともいわれる中国の報道人の仲間入りをしたとたん、中国の法規やルールに従い、執筆した記事を審査する編集者と対峙することになります。さらに彼らは、自主検閲を行うことも要求されるのです」。

 モット氏は、若手の中国人記者の前途を非常に憂慮している。十分な報酬も得られないうえ、法的にも安全が確保されているとはいえず、必要な専門機関のサポートもない。最も深刻な問題は、大学ではジャーナリストとしての理想に燃えていても、中国のマスコミ業界には、学生たちが在学中に身に着けた素養を生かす場所が、どこにもないことだ。

(翻訳編集・島津彰浩)

関連キーワード
^