大紀元時報
女ひとりで世界一周放浪記 12

「奇跡の国」ルワンダで見えた深い闇 そして闇を照らす光

2016年12月24日 07時00分
ムランビ虐殺記念館。ここで4万5000人に及ぶ人々が殺された(田中美久 撮影)
ムランビ虐殺記念館。ここで4万5000人に及ぶ人々が殺された(田中美久 撮影)

 その後の独立運動の際には、国を安定化させるためにベルギーは多数派のフツ族を支持するようになり、立場を逆転させました。独立後は多数派のフツ族が権力を握り、フツ族優位の政治が行われます。これらの歴史は両民族の対立を深め、断続的な虐殺行為を含む紛争が続き、事態は深刻化していきます。

 1993年に和平合意に至ったものの、その翌年の1994年、フツ族の大統領暗殺をきっかけに、再び大虐殺が起こりました。たった3カ月間の間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派により、多くのツチ族、フツ族の穏健派が殺されました。犠牲者の数は約50万人〜100万人と推定され、ルワンダ全国民の10%〜20%にあたります。

 この悲劇の恐ろしいところは、一般市民が直接、虐殺に手を下していることです。犠牲者の多くは自分の居住地で、隣人や同じ村の住民の手にかかって殺されました。何というおぞましい殺戮なのでしょうか。それまで一緒に暮らしていたはずの近隣住民が、ある日突然、ナタやカマを振りかざして襲いかかってくるのです。

 虐殺に加担した加害者の数は35万人に及ぶと言われています。これだけ数が多いと全ての加害者を通常の司法手続きで裁くのは困難で、働き手が減り国力も低下してしまいます。

 そこでルワンダでは、虐殺の首謀者や中心人物のみを国際法廷で裁き、残りの一般の加害者についてはその集落の人たちに託しました。地域の揉め事を解決する村の慣習的な裁判「ガチャチャ」の法廷で裁きを進めていくようにしたのです。その結果、真実を告白した加害者は懲役ではなく労働奉仕刑を務め、社会復帰をすることになりました。

たくさんの丘が存在するルワンダは「千の丘の国」とも呼ばれている。
丘から見渡す夜景はとても綺麗(田中美久 撮影)

 加害者と被害者が共存せざるを得ない国、それが今のルワンダです。

 虐殺後に奇跡の復興を遂げたルワンダにはきっと特別な何かがあるに違いない。一体それが何なのかを突き止めたい。私は、そのような気持ちを抱いてこの国にやってきました。

 ルワンダ滞在中、虐殺で足を失った被害者に無償で義足を提供している日本人女性にお話を伺いました。彼女が以前雇っていたある従業員の女の子は、虐殺により家族を失っていました。ある日、女の子が街を歩いていた時、自分の家族を殺した加害者にバッタリ出くわしました。その時相手は、「お前も殺す」と首を切るジェスチャーをしたというのです。加害者と被害者が共存するというのはこういうことだと、ゾッとしました。自分の家族を殺した人が隣近所に住んでいるのです。

 ムランビ虐殺記念館を訪れました。この建物は、元々は技術学校で、当時は建設中でした。虐殺が始まった頃、この学校にはフランス軍が駐屯していて、ここに避難すれば虐殺から免れると信じたツチの人々が押し寄せました。しかし実際にフランス軍が助けてくれることはなく、ほとんどの人たちが殺されてしまいました。校内で殺害された人だけでも4万5千人に及ぶと言われています。

 パネルなどが置かれた展示室の奥には、レンガ造りの校舎が複数立ち並んでいます。その中には、沢山の犠牲者の遺体と服が置かれていました。中に入るとムッとするような死臭が漂っています。体には石灰が塗られ、ミイラ化していますが、髪の毛や歯が残っていたり、苦しそうな顔をしていたりする遺体もあります。カマで殴られたのでしょうか、頭部が大きく割れているものもあります。この記念館はとても生々しいと聞いていましたが、やはり衝撃を受けました。

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