大紀元時報
女ひとりで世界一周放浪記 13

パレスチナの今

2017年02月01日 07時00分
ベツレヘムにあるイスラエルのユダヤ人入植地(田中美久 撮影)
ベツレヘムにあるイスラエルのユダヤ人入植地(田中美久 撮影)

 パレスチナ滞在2日目。滞在先でお世話になっているアサド24歳に、ベツレヘムにある難民キャンプを案内してもらうことになりました。キャンプに歩いて向かう途中、アサドが言いました。「下を見て。イスラエル兵から投げられた催涙弾が落ちているよ」。きっとこの催涙弾は、パレスチナがイスラエルに対するデモを行なった際に、イスラエル側から飛んできたものなのでしょう。

 「アイダキャンプ」と呼ばれる難民キャンプに着きました。中東戦争でアラブ人が敗北し、イスラエル建国の際に多くの人々が居住地パレスチナを追われ、パレスチナ難民となりました。難民キャンプと言ってもコンクリート建ての家が密集していて、店も普通にあり、他の住宅とさほど変わりません。しかし家を追われて貧しい生活を余儀なくされている人たちが多くいます。この難民キャンプでは光熱費などを払う必要はないそうです。比較的裕福で経済的余裕があり、難民としての生活にある程度満足している人も一定数いるそうです。

アイダ難民キャンプの壁画「元々住んでいた家に戻るためのカギは持っているのに」 というメッセージ
(田中美久 撮影)

 アサドが言いました。「パレスチナの人たちは、異常な生活に慣れてきてしまっているというのも事実なんだ。以前ほど話し合ったり抵抗運動もしなくなっている。これは大きな問題だ」

 パレスチナ滞在最終日はヘブロンという街に行きました。ヘブロンの街はムスリム一色です。アサド曰く、ヘブロンの人はとても優しく、彼にとって世界で1番好きな場所なのだそうです。しかし、ヘブロンは街の一部がイスラエルに占領され、分断されてしまった街でもあります。元々住んでいたパレスチナ人たちは強制的に追い出され、排除させられた区画はゴーストタウンと化しました。

 タラルとの出会い

 ヘブロンの街を歩いていると、1人のパレスチナ人男性に出会いました。彼にヘブロンの街のガイドを頼むことにしました。ガイドのタラルです。彼はウクライナに留学したり、横浜に2カ月間短期の仕事で来日したこともあるそうです。ヘブロンでは生活に苦しむ人たちを救済したり、積極的にパレスチナの状況をよくしたいと活動をしていたそうです。そんな彼を2カ月前に悲劇が襲いました。タラルがノルウェー人の観光客を連れてゴーストタウンを案内していた際、若いイスラエル兵が突然彼の指を鈍器で叩き重傷を負わせました。もちろんタラルは何も悪いことはしていません。兵士は、タラルの救済活動を良く思っていなかったのでしょう。

ガイドをしてくれたタラルは指に重傷を負っている(田中美久 撮影)

 タラルは指のケガのせいで2カ月間無職です。完治までにあと3カ月は要するそうです。39歳の彼には奥さんと幼い子供が2人います。現在は収入がなく、「今月の水道代と電気代は、多分払えない」と言いました。お金を払えなければ、イスラエルがライフラインを止めてしまうのだそうです。光熱費はさほど安くなく、月々8000円くらい。なぜ彼ら一家がこのような目に合わなければいけないのでしょうか。

 ゴーストタウンの中へ入ります。ゴーストタウンに入るにはチェックポイントを通過しなければなりません。タラルがイスラエル兵にIDカードを見せ、「中に入らせて欲しい」と交渉していますが、やけに時間がかかっています。観光客である私は問題ありません。しかしパレスチナ人であれば、長時間の尋問を受けることもよくあるのだそうです。元々パレスチナ人が住んでいた場所なのに彼らが入れないなんて、あまりにもおかしな話です。

 ゴーストタウンではあちこちにバリケードが張られています。そこはかつての活気があった頃の面影はなく、建物は廃墟と化し、店のシャッターは閉められています。頑張って営業を続けている店もありますが、ほとんどが閉鎖していました。至る所でイスラエル兵がウロウロし、監視の目を光らせています。

静まり返ったヘブロンのゴーストタウン(田中美久 撮影)

 荒廃したゴーストタウンにはユダヤ人居住区が作られました。上を見上げるとネットが張られています。これは、ユダヤ人が嫌がらせで投げてくるゴミや卵の落下を防止するためだそうです。

 信じられない光景

関連キーワード
^