大紀元時報
陳破空コラム

鄧小平が「六四天安門事件」で無差別殺害におよんだわけ

2017年06月05日 11時16分
1989年6月、学生らによる中国民主化運動が北京の天安門広場で展開されたが、鄧小平の命令で武力弾圧された。犠牲者は千人ちかいとされるが、詳しい被害は不明(目撃者撮影)
1989年6月、学生らによる中国民主化運動が北京の天安門広場で展開されたが、鄧小平の命令で武力弾圧された。犠牲者は千人ちかいとされるが、詳しい被害は不明(目撃者撮影)

 鄧小平には鄧樸方の他にも子供や娘婿がいたが、彼らもまたいずれ劣らぬ不正蓄財の「名手」だったため、各々がビジネス界のトップに駆け上った。鄧小平の「先に豊かになれる者から豊かになる」の掛け声のもと、鄧の家族からその一族の遠い親類縁者までもが我先にとその恩恵にあずかった。その結果、彼らは中国でもほんの一握りのトップクラスの富裕層にのし上がった。

 ところが、89年に起きた学生運動で、学生らが腐敗に手を染める官僚らに真っ向から反対した。学生と民衆の重要な訴求の1つ「打倒官倒」が、鄧ファミリーの不正蓄財に直接的な影響を及ぼした。これを見た鄧小平が、鄧樸方らを民主化の嵐から守るために、丸腰の学生や市民を容赦なく弾圧したというのが「六四天安門事件」の真相だ。権力と既得権益、そして汚職の温床を守ることが、鄧小平に無辜の市民らへの無差別な殺戮を行わせるに至った最初の動機だった。

 鄧小平の望んだとおり、六四天安門事件以降、中国全土の政府組織に腐敗がまたたく間に広がった。最高指導者、政治局常委、政治局委員、中小省市の幹部から県や村クラスの幹部まで、その権力をフルに活用して不正蓄財にいとまがない。そうして手に入れた巨額の金は海外へと流出しているが、こうした事実は国際ジャーナリスト連盟(IFJ)の報告書や、パナマの法律事務所モサック・フォンセカ(Mossack Fonseca)から流出した機密文書「パナマ文書」といった形で明るみに出て、国際社会を驚かせている。

 全土に広がった中国の腐敗は、鄧小平が学生運動を弾圧する根本的な理由であっただけでなく、六四天安門での殺戮という悲惨な結果に導いた。

 六四天安門事件の起きた経緯をごく簡単に言えば、このようになるだろう。「鄧小平は独裁へ、学生は民主化へ。鄧小平は腐敗へ、学生は権力監督へ。その結果、学生たちに向けて銃口が火を吹いた」。

(翻訳編集・島津彰浩)

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