大紀元時報
中国伝統文化百景

民間で口頭伝承されていた盤古神話

2018年03月12日 08時15分
Tomoaki INABA/Flickr
Tomoaki INABA/Flickr

 第二、文化と地理の次元から考察してみよう。徐整が記述した盤古神話の著作名は、『三五歴紀』と『五運歴年紀』となっているが、この「三・五」という数字の文化的含意は明らかに北方で誕生した道家の論理に由来したもので、南方の呉越文化とは全く異なっている。その裏付けとして、盤古は死後、その死体が「四極」「五岳」と化したと記述されるが、この「四極」「五岳」もいずれも中国古代の北方の地理文化の基本概念であり、しかも「五岳」の中、「南岳」を除けば、後の四岳はいずれも北方にあるのである。しかも、盤古神話が誕生した可能性が高い北方、すなわち黄河流域の太行山、桐柏山、および河南省の西部などには、神話の中に登場した地理、地形と一致しているものが少なくない。

 第三、済源太行山盤古寺に関わる盤古の天地開闢の神話があるが、これは『三五歴紀』『五運歴年紀』の記述とほぼ一致している。したがって、この『三五歴紀』『五運歴年紀』の記載は盤古神話のもっとも古い形態の可能性が高いのみならず、徐整の盤古神話は南方系のものではなく、北方のものであることも反証されることになる。

 第四、他の地域に比べて、盤古神話が誕生したと思われる中原地域では、龍の崇拝がかなり篤い。中国人は古来、自分たちを龍の末裔(まつえい)としているが、『三五歴紀』『五運歴年紀』などの書籍に「盤古氏龍首」と記述されている。桐柏山では、さらに盤古が龍の息子と言い伝えられ、桐柏山の盤古像の頭部には角が二つあるのである。

 第五、桐柏山の地域では、旧正月は盤古の誕生日であり、この日になると、盤古が帰ってきて正月を過ごすことになるとし、人々は清浄にしなければならないという民俗風習が代々伝えられている。そのため、この地域では正月から十日までの間に、遊芸など賑やかな活動を催さず、10日以降になってはじめて正月の雰囲気が現れるのである。

 第六、この地域には、盤古村、盤古山、盤古廟、盤古墳、盤古神磨、盤古石箱、盤古井戸などなどの盤古に関する文化遺産が多々あり、物質文化財の次元からも盤古神話の発源地であることを物語っている。

以上に基づいて推論すれば、盤古神話は、中原地方の漢民族の伝説に由来し、その発源地は揚子江と黄河との中間地帯、すなわち中原地方の河南省西部にある、北の済源太行山から南の桐柏山あたりまでの間になるのであろう。そして、その中心が河南省の桐柏県と泌陽県の桐柏山一帯である確率はきわめて高い。

(文・孫樹林)

 

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