オードリー・ヘプバーン(Public Domain)
彼女が残した言葉

オードリー・ヘプバーンが本当に美しいワケ

ピチピチのお肌と、つややかな髪は美の象徴。でも、年月を経て「若さ」という名の魔法が解け始めたら、中身で勝負しなければなりません。年を重ねても凛として美しく、人々から愛され続けたオードリー・ヘプバーンの言葉をご紹介します。

1.シンプルな人だけが、愛とは何かを知っている。複雑に考える人は、表面を飾ることに必死で、そのうち忍耐力が尽きてしまうものです。

ヘプバーンの人格を形容するとすれば、それはとてもシンプルだということ。シンプルな人はプライドや嫉妬といったネガティブなものがなく、常に何が最重要かを分かっているのです。余計な心を捨てれば、他人を愛し、尊重し、そして他人のために考える余裕が出てくるのです。

 

2.私の人生は、なにかの公式や理論などではなく、常識(common sense)に基づいているのです。

彼女の言うcommon senseは、日本語のいわゆる「社会常識」といった、知識を意味する常識ではありません。このcommon senseは、良い判断をして、現実的で思慮深く振る舞う生まれつきの能力のこと。自分自身の善良な本性に耳を傾ければ、分別のある、バランスの取れた生活を送ることができます。

 

3.年を重ねると、自分に二つの手があることに気づくでしょう。一つは自分を助け、もう一つは他の人を助けるのです。

ヘプバーンの有名な言葉の一つ。人生の後半、最貧国での人道支援に生涯を費やした彼女は、その一方で自分自身の成長にも力を入れていました。何をするにしても、参照できるのは自分自身の心だけ。片手を他人に差し伸べる一方で、常にもう片方は自分の胸に手をあてて、心の声を聞く必要があります。華やかな映画界を退いた後、地道な人道活動を続けられたのも、こういった彼女の姿勢があったからなのかもしれません。

 

4.私は子どもの頃から膨大な愛情に飢えていて、またそれを与えたいと切に願っていました。

ヘプバーンは度々、ウツに苦しみました。愛情に飢えながらも、誰かを愛したいという強い欲求は、必ずしも彼女に幸せを与えるものではなかったようです。ナチス占領下にあった子供の頃の過酷な経験、また度重なる流産なども彼女を苦しめました。しかし、年を重ねて、人道支援に力を注ぐようになると、心の傷は癒えていきました。

 

 

5.美しい目を保つには、常に周りの人に気を配ること。美しい口元を保つには、親切な言葉だけを話すこと。バランスを保つには、自分は一人ぼっちじゃないということを、常に心に留めて歩いていくこと。

年を重ねても美しさを保つには、常に心を磨くことが重要です。なぜなら、普段の心がけは、すべて顔と身体に現れるのですから。

 

6.その人物を知るには、他人が彼についてどう言っているかではなく、彼が他人についてどう言っているかを見る方が、よく分かります。

どこへ行っても、常に人の悪口を並べ立てる人がいます。噂や評判だけで他人を判断し、まことしやかに批判ばかりする人も。気をつけたいものです。

 

7.私は時に、一人になる必要があります。時々、土曜日から月曜日までアパートで一人になるの。こうやって、私は回復するのです。

時折、孤独になるのは必要なこと。自分の好きなことをして、好きなように一日を過ごす。この孤独な時間こそが、プレッシャーや悩みなどを乗り越える力を与えてくれます。

 

ナチス占領下にあったオランダで少女時代を過ごし、食糧難や家族との別離など、苦労の連続だったオードリー・ヘプバーン。苦難を経験したからこそ、華やかなハリウッドの世界にいても、自分を見失わずに生きてこられたのかもしれません。「永遠の妖精」と称された彼女は、姿形だけでなく、芯の通った心の美しい女性として、人々から愛され続けるでしょう。

(参照:Exploring your mind

(翻訳編集・郭丹丹)

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