高智晟著『神とともに戦う』(59)“黄じいさん”の暴力的立ち退きから1年⑥

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中国で今日発生している、野蛮な暴力を主な手段とする強制立ち退き、およびその他の数多(あまた)の公然と存在する、無辜の公民に対する残忍な悪行は、モラルある社会に恐怖と絶望をもたらした。しかし、これらは表面に現れた罪悪に過ぎない。公民が白昼、暴力に虐げられているのに、全く何の救済もない窮地にまで追い詰められている。

根本的な原因はやはり、官と民が結託した権力集団と、憲法がいかなる真の価値を持つことすら許されない憲政システムである。この権力集団は、憲法がいささかも有することすら出来ない「力」を持っている。この社会では、黄じいさんの悲劇は偶然ではないのだ。この権力集団はテロと暴力に対し、絶対的な信仰を持っている。しかもそれは、決してこの1年に始まったことではない。

こんな西洋のことわざに、「真理こそ堅持せよ。虚言は永遠に変化する」というのがある。中国では「全身全霊を傾けて人民に尽くす」から「3つの代表」「人をもって本となす」「調和の取れた社会の建設」など次々に新たなスローガンが登場してきた。

中国人が目にする永遠の変化とは、他でもない次から次へと生まれる美しい掛け声なのである。しかし旧態依然とした権力の残虐性、および助けの手を差し伸べられない無力な公民は、永遠に変わっていないのだ。このような存在こそが、中国社会における最大の危険なのである。

私のこの文章の最後に、公民である許正清さんが投獄される前に、私へよこした手紙の末尾を引用して締めくくりたい。「起きてはならないことが、ついに起きてしまいました。しかもこれからも起こり続けていくでしょう。これはどれほど恐ろしく残酷な現実なのでしょうか」

堂々たる大国よ、その天地の大きさよ。それがこれほど卑劣になり、腐敗してしまった。

 騙して勢いを得るに慣れ、迫害して功績とするを好む。
 誠実、信義、原則、人道主義、これっぽっちもありゃしない。
 公民が安心できる住まいと仕事はどこにいった。公民の合法的私有財産の保    護はどこにいった。

 公民が提訴し、陳情する権利はどこにいったのか。
 国が尊重し保護するという基本的人権はどこに消えたのか。
 社会の公衆道徳はどこに。政府の責任はどこに。
 法律の尊厳はどこに。裁判官の良知はどこに。
 公平はどこに。正義は一体どこに。

 以上の一字一字が辛酸であり、一語一語が血涙である。
 強制立ち退きの苦しみ、血涙の歴史を誰が知っているのか。
 なぜこのようなことが起こり、こんな理がまかり通っているのか。正義の理、法律の理をもって、先生どうか判断してください。
 

 

付録『黄じいさん権利擁護から1周年の記録』

2004年4月1日、午前8時ごろ、警官数百名が突如、黄じいさんの家を包囲したうえ、黄じいさんに暴力を振るおうとした。民衆は憲法を高らかに叫びながら、黄じいさんを守り、暴徒を追い返した。その光景は、悲壮に満ちたものであった。

2004年4月5日、『中国青年報』は、「北京――憲法を手に、強制立ち退きに抗ったおじいさん」の記事を発表。

2004年4月14日、『人民日報』は「憲法を手に権利を守る老人に敬意を」と題する文を掲載。同日の午前8時ごろ、黄じいさん夫婦は悪徳警官8人に車2台で不法に拉致、監禁された。その数時間後、2人の家は無残にも取り壊されていた。それは実にむごい光景であった。近所の人たちは、住家を失ったこの哀れな老夫婦にバラック小屋を建ててあげた。

2004年4月18日、城管(訳注、警察や公安とは別に、市内の秩序維持という名目で作られた組織。乱暴な集団であるため評判は悪い)と派出所の警官は、老夫婦が身を寄せていたその小屋さえ手荒に破壊し、人々の怒りを呼んだ。

2004年4月20日、政府によって追い詰められた黄じいさんは、この日から、通りでマイクを持ち、「立ち退かされた人たち」を京東大鼓(訳注、1920年代に天津で確立されたという民間の音楽形式。音楽や歌とともに、物語を語る)で歌い上げ、人々の同情を誘った。

2004年6月4日、黄じいさんは立ち退き工事事務所の入り口で、「暴力的立ち退きに反対」という横断幕を掲げて、無辜の民に対する暴力行為に抗議した。各地の立ち退き被害者数百人が集結したが、そのうねりと勢いは実にすさまじいものだった。地元政府は虎狼(ころう)のように凶暴な警官を百人余り動員して、これを弾圧した。

2004年6月5日、裁判所が裁判の尋問の通知を出すと、市内八区の立ち退き被害者が次々と押しかけた。裁判所は開廷しようとしたが、誰しもが納得せず(補注、人々は立ち退き業者や警察と裁判所がつながっていると知っている)、群集が興奮し始めたため、開廷できなかった。

2004年7月1日、二条の家2軒の強制撤去に失敗した立ち退き工事事務所は、老人にひどい暴力を振るって怪我をさせた。これに憤った群集が立ち退き事務所の屋根に上り、シュプレヒコールを上げた。それでも人々の怒りは収まらず、ほとんどの通りの交通は寸断された。これがいわゆる「7・1」記念である。

2004年4月15日から6月17日まで、黄さん夫婦は近所の李華さんの家に身を寄せた。

また、6月17日から8月7日までは、花市の高田順さんの家に身を寄せていた。このお二方の正義感あるご援助に、敬意を表明する。

2004年10月8日、政府を訴えた黄じいさんの案件の開廷の日、黄じいさんは姿を現さなかった。替わりに夫人が出廷した。裁判所は、事前に傍聴席を準備していたが、数百人のうち8人しか傍聴を許さなかった。その上、黄じいさんの委託人を退廷させたため、夫人は怒りのあまり気絶してしまった。それで、黄じいさんが政府を訴えた案件は、いまだに開廷していない。

(続く)

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