大紀元時報
大紀元社説シリーズ『共産党についての九つの論評』

【第九評】中国共産党の無頼の本性

2018年01月10日 06時00分

五、中共の無頼漢としての様々な面構え

(一) 虚栄を求め、国を売る。統一のためというのは口実で、実は国土を売り渡したのである

「台湾を解放しなければならぬ」、「台湾統一」というのは、中共が数十年にわたり言い続けているスローガンであり、自分が民族主義と愛国主義の守り神であるかのように振る舞っている。中共の本当の関心事が国家領土の保全にあるのかと言えばそうではない。台湾は国民党と共産党の争いがもたらした歴史的問題として残っているだけのことであり、中共は相手を叩く口実として使い、人心の籠絡に使っているに過ぎない。

早期の中共が国民政権の下で打ち立てた「中華ポリシェビキ」での「憲法」第十四条では、「中国内の各少数民族、更に各省は、独立自治することができる」とある。ロシアに呼応して中共も、「ポリシェビキ〔レーニンの率いるロシア社会民主党ポリシェビキ派(後のソ連共産党)〕を守る」ことをスローガンにした。抗日戦争中、中共の最大の狙いは、それを利用して自らの規模を拡大することであった。1945年、ソビエト共産軍が東北部に進入し、強姦や略奪を働いた時にも、更にはソビエト共産軍が外蒙古を独立させた時にも、中共は何ら抗議をしなかった。

1999年末、中共とロシアは「中ロ境界調査協定」を締結し、それによって、清朝がロシアとの間で結んだ一連の不平等条約を承認し、台湾の数十倍にも相当する100万k㎡あまりの国土を売り渡した。また、2004年の「中ロ東部国境補充協定」によって、黒龍江省黒瞎子島の半分の主権を失ったと言われている。

その他の境界分割や南沙群島、さらには魚釣島の主権に関しては、中共は、政権維持に何の利もないと考え、全く重要視していない。また、「台湾統一」は、中共が国内問題を衆目からそらせ、民族主義を煽り立てる無頼の常套手段である煙幕を張っているに過ぎない。

(二) 道徳的抑制のない政治上の無頼漢

政府はすべからく監督の下に置かれるべきである。民主国家にあっては、その分権的政治制度と言論、報道の自由が、格好の監督機能を果たし、宗教の信仰は更に道徳上における自己規制を提供することになる。

共産党は無神論を標榜し、神による道徳的規制がない。また、ひたすら集権専制を進めているため、政治上の法的拘束もない。それ故、中共無頼漢に対しては、天も法も妨げるものはない。ならば、中共が人民にどのように説明しているかを誰が監督するというのか。「自己」である。これこそ、中共が数十年もの間人民を騙し続けてきた口癖である。早期の「自己批判」から、後の「自己」監督や「自ら」党の指導を整えるということまで、そして最近の「自ら」党の執政能力を向上させるということまで、中共が強調しているものは、共産党はいわゆる「自己改善」の強大な能力をもっているということである。党は口で言うだけでなく、更に行動も起こし、「中央紀律検査委員会」、「信訪オフィス」(陳情受付所)なる人々を惑わす飾り物的な機構をも設立した。

道徳と法律の拘束のない「自己改善」は、伝統的な言い方に従えば「自心生魔」(自らの心に魔を生ずる)である。これは中共が外界からの監督、党、報道の開放を拒絶するための口実であり、政治無頼漢が、その集団の利益と執政の「合法性」を守り、人民を欺くためのものにしか過ぎない。

政治無頼漢としての手腕は中共の得意とするところである。「人民民主的専政」、「民主集中制」、「政治協商」などの言葉は人を騙すためのものに過ぎず、「専政」以外これらのスローガンは全くの偽りである。

(三) 抗日戦争からはじまり、反テロ闘争に到る虚構の上に、陰謀詭計を図る

中共はこれまで一貫して、中国共産党が全国人民を指導して日本人を打ち破ったと称してきた。しかし、多くの歴史的資料から、中共は当時の抗日戦争には敢えて参加せず、国民党が戦っている間に力を蓄え、後ろから足を引っ張って抗日戦争の邪魔をしていたことが明らかとなった。

中共が唯一参加した大型会戦は、「平型関戦役」と「百団大戦」のみである。「平型関戦役」について言えば、「主力部隊として戦闘を指揮し参加した」わけではなく、敵軍の補給部隊へのゲリラ攻撃を行ったに過ぎなかった。「百団大戦」については、中共の内部では、党中央の戦略方針に背いて行われたものだと考えられている。その後、毛沢東及び中共は、戦闘らしい戦闘に加わったことがないばかりか、董存瑞、黄継光といった抗日の英雄を生み出すこともなかった。ただ数人の高級軍官が抗日戦で殉死しただけであり、今日に至るまで、その死傷者数を明らかにすることすらできず、しかも広大な中国大陸において、抗日烈士(抗日戦で戦死した兵士)の記念碑を見ることも、極めて稀である。

当時の中共は抗日戦のはるか後方でいわゆる「陜甘寧辺区政府」を樹立した。現代風に言えば、それは「一国二制度」であり、国の中に「二つの中国」を作ったのである。戦闘員の中には抗日の熱情に燃えていたものもあったが、中共の高層には抗日の意志はなく、目的を持って計画的に兵員を温存しつつ己の力を蓄え、この戦争を利用して己の力を強大にしようとしたのである。中日国交正常化に当って、毛沢東は時の日本の首相田中角栄に心境を吐露した。「中共は日本に感謝しなければならない。あの抗日戦争がなければ、中共が天下を取ることはできなかった」。

これが、中共が自称する「全国人民を率いて八年間の抗戦中指導を続け、最後の勝利に導いた」という大嘘の真相である。

半世紀後、米国に911テロが起こり、反テロが世界の潮流となると、中共は又しても抗日戦で使った無頼漢的詭計を用いた。反テロを口実として、多くの宗教信仰、批判分子、地域、民族紛争などの団体をテロ分子とし、国際的な反テロ機運を隠れ蓑に、ほしいままに暴虐な弾圧を行ったのである。

2004年9月27日、新華社が『新京報』のニュースを転載して、北京におそらく、全国の各省市の中で最初の反テロ部局が設立されるであろうと伝えた。海外の一部の親共メディアは更に、「610オフィスが反テロに加わる」(610は法輪功迫害専門組織)の表題で大げさに報道し、法輪功を含むテロ組織を攻撃することに重点を置くと公言した。

中共は、心に寸鉄もなく、殴られても殴り返さず、罵られても罵り返すことのない平和的陳情に来た民衆をテロ分子とし、完全武装した「特殊反テロ部隊」を出動させ、非力な民衆と善良な人々をすぐさま叩き潰すのである。更に「反テロ」という口実で海外からの批判と譴責を逃れるという、抗日時に見せた無頼漢的手法と全く同じ手法を使い、国際社会で行っている「反テロ」活動に恥辱を与えている。

(四) 表では敬い影では裏切ると言う手口で、真剣に形式だけ整える

「自分では信じないのに、他人には無理やり信じさせる」というのが、中共という邪教の最も無頼漢的な手口の一つである。中共自身が共産党の教義はすべてでたらめであり、社会主義は詐欺であり、既に破綻していることを熟知しており、自ら信じていないにも拘らず、人には信じることを強要し、信じないものは弾圧するということを行っている。しかも、最も荒唐無稽な破廉恥なことに、党はこれらの欺瞞論理を憲法に取り入れ、立国の要綱としているのである。

現実の生活の中で、次のような面白い現象がある。中国の官界における政治闘争の中で、腐敗が原因で失脚した高官らは、昼は大会で大いに「廉潔奉公」を語り、夜になれば「賄賂を取り、道楽のし放題」という有様であった。元、雲南省長李嘉廷、貴州省委書記劉方仁、河北省委書記程維高、国土資源部大臣田鳳山、安徽省副省長王懐忠などのいわゆる「人民公僕」らはみな同じ轍を踏んでいる。彼らの講話を調べてみればわかることであるが、彼らは、一人の例外もなく、一方ではお金を横領し賄賂を受け取りながら、一方では各種の報告の中で繰り返し、「廉潔に政治を行い、腐敗への反発を強化しなければならない」と要求しているのである。

中共は多くのモデル的人物を作り出し、理想を抱き、前途有望な人々の入党を大きく宣伝し、党の外観を立派にしてきた。しかし、今日の中国の道徳水準の堕落がたとえようのない程であることは衆目の一致するところである。なぜ中共の「精神文化」の宣伝が機能しないのであろうか。

実のところ、共産党の首脳部が民衆を指導する時に語る、「共産主義道徳」、「人民に奉仕する」などは、ほとんどでたらめである。マルクスは私生児問題、レーニンは買春により梅毒感染、スターリンは歌手を無理やり囲い告訴、毛沢東の女漁り、江沢民の淫行、ルーマニアのシャウシェスク一家は権益を享受、キューバのカストロは海外の銀行に数億の蓄財、北朝鮮の金日成の子孫は豪遊の日々など、共産党リーダーの言行不一致は、元祖マルクスから始まっている。

中国人民は日常生活の中で、嘘で固められた空しい政治学習に厭気が差しており、「政治のことを語る」などといったことをいい加減にあしらっている。なぜなら、それは人を騙すためのものでしかないということをみんな知っているからである。政治の舞台の上にいる人も下にいる人も、お互いのやっていることが分かっていても、深く追求せず、暴くこともしないのである。この種の現象を人々は、「真剣に形式だけ整える」と称している。少し前の「三つの代表」、その後の「執政能力を高める」、最近では「人々の心を暖かくし、人々の心を穏やかにし、人々の心を得る」という「三つの心」などということを言っているが、それらは全て下らない無駄話である。

どこの執政政党が人民の利益を代表していないだろうか?どこの執政政党が執政能力を重んじないだろうか?どこの執政政党が人心を得るために働いていないだろうか?もしそうであれば、早々に政治舞台から追い落とされるのではなかろうか。しかし、中共はこうした中身のない話をさも奥深い精妙な理論であるかのように、全国民に凄まじい勢いで学習させるのである。

「形式だけ整える」ということが、知らぬ間に10数億の人民の習慣となり、「党の文化」現象となってしまった時、社会全体に「うそをつき、ほらを吹き、中身がない」という現象が起こり、信頼の危機が生じた。中共はなぜこのようなことをするのであろうか。昔は「主義」のためであり、今は「利益」のためである。「真剣に形式だけ整えている」のだとわかっていても、そのまま続けなければならない。このような方法をとらなければ、無頼漢らしいボス像がなくなり、人民に推戴されなくなり、人民が自分を恐れることがなくなるからである。

(五) 良識を殺し、個人の正義感を党の利益に服従させる

劉少奇が『共産党員の修養を論ずる』という本の中で、「党員個人の利益は、無条件に党の利益に服従する」と述べている。歴史的に見ても、中共の党員の中で、国を憂い、民を憂える正義の士と、人民の為になることを行おうとする廉潔な官僚がいることはいた。しかし、中共という利益追求集団の中では、こういった官僚に活路はなかった。そういった官僚は、「人間性は党性に服従する」という圧力の下で、そのまま続けることができなくなるか、または淘汰されるか、あるいは同じ穴の狢(むじな)になってしまうほかないのである。

人民には中共の血生臭さが骨身にしみている。そして、中共無頼漢の「強権」を恐れている。それ故、人々はもはや正義を擁護しようとはせず、公理を信じようともせず、最初は「強権」に服従し、その内感覚がなくなり沈黙し、我関せずという姿勢を貫くようになる。思考論理も自然に「強権」に従うようになってしまう。これこそ中共の暴力団的無頼漢の本性を示すものである。

(六)「愛国主義」とは、人民を緊急総動員するための邪教の号令である

中共は「愛国主義」、「民族主義」といったスローガンを、人々を騙すためのアメとして使っている。「愛国主義」「民族主義」は共産党の大きい旗(看板)であるだけでなく、何回試しても同じ良い結果をもたらすスローガンである。数十年にわたり国に戻ってこない華僑は、『人民日報』海外版によって、民族主義に関する宣伝を数年間読み続けるならば、国内の人よりも愛国の念が強くなる。また、共産党のいかなる政策に対しても「ノー」と言えない中国人であるにも拘らず、党の組織の下、「愛国主義」の御旗を掲げ、中国にある米国大使館や領事館に何らためらいもなく卵や石を投げつけ、車に火をつけ、星条旗を燃やすようなことを公然とする。

共産党はこのことを見定め、全ての中国人を服従させる必要のある大事に当っては、「愛国主義」、「民族主義」方式で民衆を緊急動員する。台湾、香港、法輪功、米軍用機衝突事件などについては、恐喝と集団洗脳で全国人民を一種の戦闘状態に引きずり込む。これはかつてのドイツにおけるファシストの手口とよく似ている。

情報封鎖をしていることで、党の洗脳は特に成功している。中国人は、たとえ中共が嫌いでも、物を考えるに当って、どうしても中共に洗脳された思考方式で考えてしまう。例えば、イラク戦争期間中、少なからぬ人は、中国中央テレビ局[4]の連日の報道による解説を見て、心がかき乱され、憎悪や復讐と戦いたいという強い感覚を覚えながら、戦争を罵っていた。

(七)厚顔無恥にも国家を党の下におき、人民に賊を父と呼ばせる

中共が人民に対する警告として常用している言葉は「党が亡べば国が亡ぶ」で、党が国の前に来るのだ。立国方針は「共産党がなければ新中国はない」である。人民が子供の時から叩き込まれることは、「党の言うことを聞く」、「党の好い子になる」である。歌わせられるものは、「私は党を母親と考える」、「党は私の愛する母」、「党の恩は海より深い」、「父親も母親も共産党の親しみ深さには及ばない」である。[5] 行動指針は、「党の指し向かうところそれに従う」であり、政府が救済活動を行った時は、「党と政府に感謝する」であり、「党」への感謝が「政府」への感謝に優先する。軍隊のスローガンは、「党が軍を指揮する」である。大陸の専門家が裁判官の服装をデザインした時も、襟につける4個の金色のボタンは、上から順に党、人民、法律、国家を象徴しており、たとえ裁判官と言えども、永遠に党が「法律」、「国家」及び「人民」の上にある。

「党」は中国にあっては無上の存在であり、「国家」は「党」の付属なのである。「国家」は「党」のために存在し、「党」は人民の化身であり、「国家」の象徴である。党を愛し、党指導者を愛し、国を愛することがまぜこぜになっている。これこそ中国の愛国主義が捻じ曲げられた根本原因である。

長期にわたる宣伝と洗脳の影響で、多くの党員、非党員ともに、意識的あるいは無意識のうちに党と国家の位置付けを誤り、「党の利益」が一切のものに優先すると考えるようになった。あるいは、「党の利益は人民の利益、国家の利益である」ということを黙認する。そして、そのことによって、中共の無頼集団に、「国家利益」を売り渡す大きな余地を与えたのである。

(八)名誉回復というトリックで罪を「偉業」に変えてしまう

歴史上、中共は多くの誤りを犯してきた。しかし、その都度「名誉回復」と言っては、個人や団体にその誤りを押し付け、被害者に恩に感じ徳を讃えることを強要し、中共の罪悪を無に帰すのである。「誤りを犯すことを得意としているだけではなく、自らその誤りを正すだけの勇気も持っている」というのが、死から免れるための妙薬であり、これにより、中共は永遠に「偉大、光栄、正確」な党となるという訳である。

いつの日か中共が、「六四」(天安門事件)、「法輪功」に名誉回復を行うことがあるかも知れない。しかし、それは行き詰ったことによるもので、余命をつなぐための無頼の手口であり、自ら反省し、自らが犯した罪を清算する勇気などはない。

六、無頼の本性の大暴露:「真・善・忍」を国家テロとして抹殺

中共邪教集団がやった「天安門焼身自殺の捏造」は、中共による世紀の戯言である。法輪功を叩くために、なんと政府たるものが5人を騙して法輪功学習者を演じさせ、天安門で焼身自殺を偽装させた。結局その場で口封じのため殴り殺された人もいれば、事後に口止めのために殺された人もいる。中央テレビ局で放映されたスローモーションの映像で見ると、劉春玲は警官になぐり殺されていることがはっきりと見て取れる。その映像から見られる王進東の座禅のしかた、消火後両足の間に挟まれたプラスチックボトル、医者と劉思影の会話、カメラマンの現場での配置などに多くの疑念や矛盾があり、この焼身自殺事件は、江沢民の無頼集団が法輪功を陥れるためにでっち上げたやらせであったことがはっきりと分かる。[6]

政党たるものが、最も卑劣で残忍な手口により、改革開放後二十数年来蓄えてきた国力を傾けて、党、政、軍、警察、スパイ、外交及び各種各様の政府及び民間組織を動員し、全世界を覆うメディアシステムを操縦し、人による監視から高度な科学技術までを動員して完全な情報封鎖を行い、修養を積み精神を涵養する平和的団体に対処しているのである。これこそ中共の無頼的本性を徹底的に曝け出したものである。

歴史上、いかなるならず者、無頼漢といえども、江沢民と中共のやっているような徹底した戯言は例を見ない。一人一人の心の中にある各種の観念に応じて、それに適している戯言を用意し、あらゆる人に対し、そのデマを信じ込ませ、法輪功はその人達にとっての仇であると思わせているのである。

「貴方は科学を信じますか?法輪功は迷信です。あなたは政治に反感を持っていますか?法輪功は政治に介入しています。あなたは他の人が金を儲け海外へ行ったことを妬みますか?法輪功は金集めをしています。あなたは組織に反感を感じますか?法輪功は厳密な組織を持っています。何十年も続いている個人崇拝に嫌気がさしていませんか?彼等は精神コントロールをしています。愛国心は高いですか?法輪功は反中国です。社会の安定を望んでいますか?法輪功は社会の安定を破壊しています。法輪功は「真・善・忍」を説くと言うのですか?法輪功は真でも善でも忍でもなく、善の心から殺意の心を生み出しています」と言うのである。

政府はもうこれ以上嘘をつかないであろうか。決してその様なことはなく、自殺事件から焼身自殺まで、家族の殺害から他人の殺害まで、一人を殺すことから多数の人を殺害することまで、人々が信じざるを得なくなるまで、更に拡大し撒き散らすのである。もし、法輪功に同情している人がいれば、その人の業績を法輪功問題と関連付け、法輪功学習者が北京へ陳情に出かければ、その学習者の関係者を失職させ、失業させ、ボーナスなどを没収し、法輪功と敵対せざるをえなくさせる。更に、数多くの法輪功学習者を洗脳班に送り、捻じ曲げられた理屈、家族の愛情、就職、就学で圧力をかけ、家族や同僚に対して連座で脅し、その上拷問や酷刑を加え、なんとしても煉功しないという誓約書を書かせ、正しい信念を放棄させるのである。そして、洗脳によって転向させられた人を使って、他の人も転向するように仕向けるのである。無頼漢たる中共は、人を鬼へと変え、人に悪の道を辿らせどん底まで陥れるのである。

七、「中国的」な無頼の社会主義

「中国的」というのは中共の目眩ましである。中共は一貫して、中国革命が成功したのは、「マルクス・レーニン主義と中国革命の具体的な実践が相結合した」からであるとしている。「特殊性」を濫用するのが中共の一貫した手口であり、それが、変転極まりない無頼の政策の理論的下地となっている。

(一)変転極まりなく、密かに悪事を働く

こういった無頼な「中国的」という看板の下で、中共が達成したものを見ると、荒唐無稽であり、笑止千万であるとしか言えない。

共産党革命の目的は、生産資源の公有制を実現することで、多くの共産主義の理想を求める青年を騙し入党させた。その中の少なからぬ人々は、元来資産家の子息であり、家業に背くことになった。83年が経過した今日、資産階級が再び戻って来たが、それも当初「大同」の旗印の下にあった共産党自身の変身なのである。現在、中国共産党指導者の子女や親族で、巨万の富を持つ新資本家は、枚挙にいとまのないほどである。そして、多くの共産党員が先を争ってこの隊列に加わろうとしている。共産党は革命の名義の下に、地主と資本家を消滅させ、彼らの私有財産を掠奪した。現在、党の成り上がり高官たちは腐敗汚職に染まり、昔の資本家よりもさらに資産のある官僚資本成り金となったのである。党に付き従って天下を取ろうとした人達に言わせれば、「先にこれを知っていれば、あんなことはしなかった」と言うことになろう。数十年の流血奮闘の挙げ句、今になって見れば、自分の家族の財産と己の一生を共産党という邪教に捧げてしまっただけなのである。

共産党は、経済基礎が上層建築[7]を決定すると言っているが、現実には、党内の汚職役人による官僚経済基礎が上層高圧建築を決定しており、それ故に人民を弾圧することが党の基本政策路線となっている。

中共のもう一つの無頼の特性は、人類文化のあらゆる概念の意義をすり替え、変異させた概念をもって全ての人民を批判し、独裁を行うことである。党について言えば、人類社会において、結党という現象は内外を問わず古くから普遍的に見られる。しかし、共産党だけは、党集団の利益という範疇を完全に飛び出してしまっている。一旦党に加入したならば、党が個人の人間性、生存、そして私生活に至るまで一切をコントロールすることになる。党に権利を譲渡したならば、党は社会、政府、国家機関の一切をコントロールする。大きなところでは、誰が国家主席になり、誰が国防大臣になり、どんな法令を制定するかまで、そして、小さなところでは、誰がどこに住んで良いか、誰と結婚するか、子供は何人生むかに至るまでコントロールし、しかもこれらの制御方法を果てしなく広げているのである。

中共は弁証法という名目の下、哲学的な円融思考形式や思考能力及び探究精神を徹底的に破壊した。共産党は「労働に応じて配分する」と言いながら、「一部の人を先に豊かにさせる」という移行過程によってできあがったのは、「権力に応じた配分」である。「誠心誠意人民に奉仕する」という名目で、美しい理想を抱いている人々を欺き、そしてその人々を洗脳し全面的にコントロールし、やがて、その人々を「誠心誠意党に奉仕し」、人民のために請願などしようとしない従順な道具に変えてしまったのである。

(二)「中国的」な無頼漢政党

党の利益の為には一切を顧みないという原則を持つ中共は、邪教的運用方式によって中国社会を捻じ曲げ、人類社会の中に本当の異端を作り出した。この異端は、いかなる国家、政党、団体とも異なる。その原則は無原則であり、その微笑の裏にはいかなる誠意もない。しかし、善良な人々は中共を理解することができない。なぜなら、彼らは、人類共通の道徳基準に照らして中共を推し量ろうとするのだが、そんな悪辣な無頼漢が一つの国家を代表しているなどということは、想像する術がないからである。党は、このような「中国的特性」によって世界の民族の仲間入りをしたのである。「中国的特性」は「中共無頼漢の特性」の縮図である。

中国の欠陥資本主義は「中国的社会主義」に変わり、「失業」は中国的な「待業(就職を待つ)」に変わり、「解雇」は中国的な「職場を離れる」に変わり、「貧困」は中国的な「社会主義の初期段階」に変わり、言論、信仰の自由といった「人権」は中国的な「生存権」に変わった。

(三)国家の無頼化、中華民族は空前の道徳危機に直面している

90年代初め中国で、「俺はならず者だ。誰も恐くない」という言葉がはやり始めた。これこそ、中共が数十年にわたり無頼な政治を行った結果であり、国家の無頼化である。中国の見せかけの経済繁栄に伴い、社会道徳が全面的に堕落したのである。

中国人民代表大会開催期間に「誠実信用」問題が高らかに唱えられ、中国の大学入試でも「誠実信用」という題の作文が課せられた。ここからも、「誠実信用の喪失」と「道徳問題」が、中国社会が直面している、目に見えないが至るところに存在する巨大な危機となったことがわかる。汚職腐敗、偽札横行、詐欺横行、人心の卑劣化、世情の悪化、人と人の信頼の欠如が起こっているのである。

口々に生活が改善され満足しているという人々にとって、生活の安定こそ最も関心を持っていることではなかろうか。社会が安定する最も重要な要素は何であるか。それは道徳である。道徳の欠落した社会に安全の保障はない。

今日に至って、中共はほとんど全ての伝統宗教を弾圧し、伝統的な価値観を破壊し、手段を選ばずに財を掠め取り、手段を選ばず人民を欺き、上の梁が曲がったため下の梁が歪み、社会全体を急速に無頼化している。無頼漢的手段で政治を進める中共にとっては、本質からしても、その生存環境として無頼化した社会が不可欠であるため、あらゆる手段を講じて、人民を悪事に引きずり込み、中国人民を様々な程度の大小異なる無頼漢に仕上げようとしている。中共の無頼としての本性は、このようにして中華民族を守りつないでいる道徳の基盤を破滅させているのである。

結び

「江山は改め易く、本性は移し難し」。[8] 歴史が証明する通り、中共が手枷足枷を緩めるのは、別に鎖を捨ててしまうことを意味しているわけではない。前世紀60年代初めの大飢饉の後、「三自一包」[9]なるもので農業生産を回復したが、それは中共に農民の「農奴」的地位を改めようとする意図があった訳ではない。80年代の「自由化」と「経済改革」も、1989年の人民虐殺にいささかの影響を与えるものではなかった。今後とも、中共が何か表面的なことを変えたとしても、無頼漢としての本性を改めることなどあり得ないのである。

状況がすっかり変わり、この党は昔の党とは違うと感じ、目の前にある偽りの姿に満足し、さらには共産党が改善された、あるいは改善されつつある、あるいは改善しようとしているというような誤った認識を持つことによって過去の記憶が絶えず薄れていけば、中共無頼漢集団に、存続し続け、人類に害を及ぼすチャンスを与えることになる。

共産党は、人々に「忘れさせる」ためにあらゆる努力をし、人々は、何とかして「覚えておく」ためにあれこれとあがくのである。

事実、共産党の歴史は人民の記憶を断ち切る歴史であり、後の世代が前の世代の真相を知らされていない歴史であり、億万の人民が過去の共産党に対する呪いと現実の共産党に対する期待という巨大な矛盾の中に生き、苦難を経験してきた歴史である。

共産主義という邪霊が人の世に下りてきて、共産党が無頼の一揆と無頼の革命で政権を奪い、この世に足場を定めて以来、血生臭い暴政で、「党という憑き物」による専制社会を打ち立て維持してきた。自然に反し、天理に背き、人間性に反し、宇宙にも反する、いわゆる「闘争」精神によって、人類の良識と善意を破壊し、伝統文明と道徳観念を壊滅させ、血生臭い虐殺と強制洗脳で全国民を狂わせるような共産邪教の統一国家を作り出したのである。共産党の歴史の中で、赤色恐怖が頂点に達した狂乱の時期も、滅亡しそうになり荒野へ落ち延びた時期もあった。しかし、共産党は、そのたびに、無頼の手口で逃れ、人民を愚弄し続けては、次なる狂乱へと向かうのであった。

人々が皆共産党の無頼としての本性を認識し、その欺きに騙されなくなった時が、中共とその無頼の本性が終焉を迎える時である。

中国5千年の歴史に比べれば、中共による50数年の統治はあっという間のできごとである。中共の存在しない時代に、中国は人類史上に残る輝かしい文明を創造した。中国の内憂外患という機に乗じて居座った中共が、中華民族に巨大な災難を与えた。この災難によって、中国人は、数千万人の生命と無数の家庭の破壊という代価を支払わされ、民族の生存に欠かせない生態資源をも犠牲にしたばかりでなく、更に重大なことは、民族の道徳資源と優れた文化伝統がことごとく破壊されたのである。

中国の未来はどうなるのであろうか。中国はどこへ向かうのだろうか。こういった重要な問題は、複雑で一言で述べるのは甚だ難しい。ただ、一つだけはっきりしていることは、中華民族の道徳を建て直し、人と自然の関係を改めてはっきりと認識し、人と人が和やかに共存するための信仰と文化を取り戻すということがなければ、中華民族に輝かしい未来はあり得ない。

中共の数十年に及ぶ弾圧と洗脳によって、その思考方式と善悪の基準が中国人の生命の深層にまで入り込んでしまった結果、人々はある程度その歪んだ理論を受け入れ、認めてしまい、さらにはその一部分となって、中共にその存在意識形態の基礎を提供しているのである。

生命の中から、中共に注ぎ込まれた一切の邪説を取り除き、全ての悪を揃えている中共の本質を明らかにし、人間性と良識を取り戻すことが、共産党のない社会に穏やかに移行するために必須の道であり、その第一歩なのである。

その道が平坦で穏やかであるかどうかは、中国人一人ひとりの内心の変化にかかっている。中共は、表面上は一切の国家資源と暴力機器を持っているが、各人が真理の力を信じ、道徳を重んじるならば、中共という邪霊は身を置く場所を失い、一切の資源は、瞬時にして正義の手に戻るかもしれない。それは、中華民族再生の時でもあるのだ。

中国共産党がなければ、新たな中国が生まれる。

中国共産党がなければ、中国には希望が生まれる。

中国共産党がなければ、正義を重んじる善良な中国人民が必ずや再び歴史に輝きをもたらす。

(版権所有 大紀元 転載歓迎 変更不可)


 

『九評』シリーズのタイトル:

第一評:共産党とは一体何物か 映像
第二評:中国共産党はどのようにでき上がったか 映像
第三評:中国共産党の暴政 映像
第四評:共産党が宇宙に反する 映像
第五評:法輪功への迫害における江沢民と中国共産党の相互利用 映像
第六評:中国共産党による民族文化の破壊 映像
第七評:中国共産党による殺人の歴史 映像
第八評:中国共産党の邪教的本質 映像
第九評:中国共産党の無頼の本性 映像



 

[1] 一つの中心は、経済発展を指す;二つの基本点は、「四つの基本原則(社会主義の路、プロレタリア階級の専制、中国共産党の指導権、マルクスーレーニン主義と毛沢東思想)と開放政策の持続」

[2] 1979年,皦スが新「三不主義」を提案して、民衆に心を打ち明けさせようとした:レッテルを貼らない、攻撃しない、あら捜しをしない。それは、50年代の知識人に心を打ち明けさせた毛沢東時代に思い出させる。共産党への意見を正直に言った人たちは、代償として残酷な迫害に会った。現在の新「三不主義」は、 「論争せず発展させる、闘争せず前進する、遅れることに満足せず進歩する」という。

[3] 香港政府が北京当局の圧力で2002年に香港基本法23条を提案した。その条項は香港に自由と人権の重大な侵蝕を表し、中国共産党が約束した「一国二制度」方針をひそかに害した。23条は世界に反対されて、2003年に最終的に引き下がった。

[4] 中国中央テレビ局は中央政府に所有され、直接運用されている中国大陸の主要な放送網。

[5] これらの引用文はすべて毛沢東時代の1960年代及び1970年代の歌のタイトルである。

[6] 天安門焼身自殺のビデオは、下記のリンクを参考 http://www.falundafa-jp.net/features/vaudio/vaudio_index.htm

[7] マルクス主義者の社会的な理論の中の上部構造は、人間の主観性と社会の物理的な物質との相互作用方法を示す。

[8] 人間性の永久性を表す中国の諺である。

[9] 経済改革政策である。「三自(自由)一包(契約)」として有名。当時の中国の主席劉少奇によって提案された。この政策は、私用土地の区分、自由市場、企業が自身の損益に唯一の責任を持つ、家庭単位で産量割り当ての分配によって刺激する。

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