【ショート・エッセイ】孝女・木蘭の物語

【大紀元日本9月12日】民間の伝承であるから、史実と照合させて当否を論じる必要はない。ただ、漢民族の伝統的な「好み」に対して、私たち日本人もいくらかの理解と共感を表したいと思うのだ。

木蘭ムーラン)という父親思いの娘がいた。美しく、しとやかで、機織りと刺繍を好む木蘭の憂いは、老父に届いた出陣の命令であった。北魏(386~534)時代の作者不詳の長編詩「木蘭詩」に基づいて、以下を進める。

老父には、出陣できる男子はなかった。木蘭の弟はまだ幼い。そこで木蘭は、老いた父の代わりに、自ら男装して出陣することを決意する。女の身を甲冑で固め、父母に別れを告げた木蘭は荒野をゆく馬上の人となった。

数々の戦いで目覚しい戦功を挙げた木蘭。やがて12年の戦いは終り、天子の御前で帰還した将兵への論功行賞がおこなわれた。

天子が木蘭に訊ねる。「そちは何が望みか」

「私は何のご褒美も望みません。ただ、一日千里を行く駱駝を走らせて、私を故郷に帰していただきたいのです」

木蘭の帰郷を聞いた家では、迎えの準備に大忙しとなった。昔幼かった弟は、12年ぶりに帰ってくる姉のために包丁をふるって豚や羊を料理する。ますます年老いた父母は、村の門の外で、二人支えあいながら娘の到着を待った。

家に着いた木蘭は、まず2階の自室へ上って軍装を解き、化粧を施し、美しい女性の衣に着替えた。やがて家から出て来た麗人を見て、12年間ともに過ごしてきた戦友たちは仰天する。彼らは、木蘭が女であったことに全く気づかなかったのだ。

この中国版「男装の麗人」物語に貫かれているものは、我が身を犠牲にしてでも子が親に尽くすという徹底した「孝」の精神である。

親孝行が道徳の重要な項目であることは、もちろん日本人も異論はない。ただ日本人の観点、あるいは現代的な価値観からすれば、その極端さに対しては是非もあるだろう。

しかし伝統とは、その是非さえも超越して重いものであることもある。

親を見捨て、あるいは親の死を隠して年金を受給し続ける愚息愚娘がこれほど多かった昨今の日本のほうが、はるかに悲しい。

 (埼玉S)