【紀元曙光】2020年1月17日

1995年1月17日未明、阪神淡路大震災が発生した。まだ夜明け前の、暗く、酷寒のなかで、寝間着のままの被災者が、自身の生存と家族や隣人の救助に必死の努力をした。
▼犠牲となった人は、震災関連死も含めて6,434人に上った。震災関連死とは、確かこの時から使われるようになった言葉で、直接の地震では死ななかったものの、その後の環境(避難所での不自由な長期生活など)が原因の一つとなって招いた死亡を指す。
▼震災関連死と認定された人について、悲しい事例だが、被災後の絶望感によって自死した人もいた。「どうして気づいてやれなかったのか」。同じ被災者である周囲の人々が、涙を流して悔しがった。
▼クラッシュ症候群という専門用語も、日本の報道では初めて聞いたような気がする。がれきの下敷きになって圧迫された筋肉が壊死すると、そこから血液中に有害な物質が出て、死に至るほどのショック症状を起こすという。車中での寝起きが続くなか、足の血液が滞留して起きるエコノミークラス症候群についても、さかんに注意が喚起された。
▼大規模災害の発生時、どう行動するべきか。日本人はこの時から真剣に考え始めた。阪神淡路大震災のときの政府は村山富市内閣、2011年の東日本大震災のときは管直人内閣であったが、日本人は「政府は、すぐには助けてくれない」ということを知り、「目の前の被災者を助けるのは、われわれ自身なのだ」という、究極の自立心を体得した。
▼あれから25年。多くの悲しみを越えて、私たち日本人は、より災害に強い国を作ろうとしている。