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[物語]二個のたまご

 【大紀元日本9月8日】1976年、私は江蘇省・高淳県のある村で中学の教員をしていた。当時、学校の授業料は1学期分わずか4,5元ほど(約70円)であったが、多くの農家にとってはやはり大きな支出だった。新学期が始まる頃、教材費しか納められない生徒がたくさんいた。「玉喜」君は、私のクラスの生徒だった。彼の家は、人が多いのに働ける人が少なく、また、母親が病気で1年中寝たきりだったため、村の中で最も貧しい家のひとつだった。彼の家は卵を産む2羽の雌鶏で生計を立てていた。たまごを町の国営商店に売れば1個6,7分(約1円)になり、数個のたまごを貯めて日用品を買うという状況だった。当時は、1家族につき、鶏を2羽しか飼うことが許されなかった。もし2羽以上飼ったら、「資本主義の道を歩む者」として政府に検挙されてしまうのである。

 新学期、「玉喜」君は授業料を一括で納めることができず、毎月少しずつ学校に納めていた。言うまでもなく、それも“ニワトリのお尻”から絞り出したお金だ。年末になっても、「玉喜」君にはまだ2角(約3円)の借りが残っており、学校側から、「年末までに残りを収めるように」と催促を受けた。

 そして年末の最後の授業の日になった。

 授業が始まる前、私は「残りの学費を持ってきた?」と「玉喜」君に尋ねた。

 「玉喜」君は、破れた布の鞄からたまごを2つ取り出して、「授業が終わったら町へ行きます。このたまごを換金すれば1角4分になります。それでも6分足りませんが、それをもう後1,2日待ってもらえるよう、学校に頼んでもらえませんか。家のニワトリがもう1つたまごを産んだら納め終わりますから」と、顔を赤らめて答えてくれた。

 彼はまた、「寒いし雪も降っていて餌が取れないので、家のニワトリがなかなかたまごを産まないのです…」と呟いた。

 寒さで赤く腫れた彼の手に握られた2つのたまごを見て、私は涙がこぼれそうになった。

 彼に気付かれないよう、私は顔を窓の方に向けた。外は大雪で銀世界になっていた。私はしばらくの間ぼうっとしていた。それから、「こんなにひどい天気の中、『玉喜』君が町に行く途中でもし転んだりして、たまごが割れてしまったら!?」と考えた。

 そこで、私は「玉喜」君の手からその2個のたまごを受け取って、「先生がたまごを買うから、残りの学費はもういいですよ」と彼に伝えた。

 「それはだめです、先生…」と、「玉喜」君はあわてて言ったが、私は譲らなかった。

 お昼、その2個のたまごを煮て、1つは自分で食べ、もう1つを「玉喜」君に渡そうとした。彼は最初、たまごをなかなか受け取ってくれなかった。

 しかし、私の指示に従うしかない彼は、たまごを受け取りながら、「先生、ありがとうございました。このたまごを家に持って帰って、母に食べさせてもいいですか?」とまた私に聞いた。

 この問いに、私はうなずくしかなかった。

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 去年、この学校の同窓会が開かれ、私は参加するために戻ってきた。同窓会では、「玉喜」君の姿は見当たらなかった。しかし、うわさによると、彼は今、他の町の鶏の餌工場で働いているとか、あるいは養鶏会社を経営しているということだ。

 彼の近況を確かめることはできないが、それでも私は満足している。

 「玉喜」君、元気ですか?

 
(明心ネットより)



[中国語版又は英語版]:http://xinsheng.net/xs/articles/gb/2003/4/11/20720.htm

 (05/09/08 12:15)  





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