【道家故事】 楽しきかな人生

【大紀元日本11月25日】ある日、孔子が泰山を遊覧していると、街で栄啓期と言う人物を見かけた。彼は質素な身なりをして腰ひもがわりに荒縄を巻き、琴を弾きながら大声で歌い、とても楽しそうに見えた。

孔子はお辞儀をしてから聞いた。「こんなに楽しんでいるのは、何か喜ばしいことでもあるのでしょうか」。栄啓期は、「喜ばしいことが沢山あります」と答えた。

「ぜひ詳しく聞かせて下さい」と孔子が言った。

栄啓期は言った。「万物は自然から生まれ、人は最も尊いものです。この世に人として生まれて来たことは、一つ目の喜ばしいことです」

孔子は、うなずきながら聞いた。「二つ目は?」

栄啓期は言った。「男女には生まれつき差異があります。男として生まれて来たことは、二つ目の喜ばしいことです」

「三つ目は?」

「人の寿命は長い人もいれば、短い人もいます。寿命の短い人はまだ母親のお腹にいる時に死に、またはむつきのうちに死んでしまいます。しかし私はもう九十歳を超えているので、長生きと言えるでしょう。これが三つ目の喜ばしいことです」

孔子は言った。「これは確かに喜ぶべきことですね」

栄啓期は静かに語った。「貧しくても志を立てる人がおり、死んでしまえば人生も終ります。いずれも自然のことであり、私はその自然の中にいるから何の心配もいらないのです」

孔子はにこやかに頷いた。「さすがですな。自然に従い、くよくよせず楽しく生きておられます」

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人にはそれぞれ、辛いことも楽しいこともあります。貧困や生死は人生最大の苦難ですが、それらを前にしても笑うことのできる人は、何の心配もいりません。道家では、天命に従い、生命のことを憂えず、無意味な心配事をしないようにと説きます。心を動揺させず、楽観的に生命の終点まで向かうことが道家の説く「無為自然」なのかもしれません。

 (翻訳編集・蘭因)