【紀元曙光】2021年2月9日

「鉛筆をくれ」と病床のその人は言った。
▼1989年2月9日。手塚治虫さん死去。末期の胃癌というが60歳での死は、やはり早い。最盛期は週に何本もの連載をかかえ、『鉄腕アトム』などのテレビアニメも手掛けた。徹夜の連続。鬼気迫る仕事ぶり。あまりの過酷さに「虫プロ」のスタッフ全員の人相が変わった。
▼毎回の原稿をもらいに来る担当者も大変だったらしい。「手塚の担当は命懸けだった」と、どこかの本で見たような気がする。小欄の筆者は、当時の手塚漫画の一部を楽しんだだけだが、やはり思い出せば懐かしい。ただし制作現場での手塚治虫は、「マンガの神様」というより、自分の仕事に最も厳しい「鬼」であったことは間違いない。
▼筆者の書架の隅に一冊の文庫本がある。手塚治虫『マンガの描き方』光文社文庫。自分で漫画を描くつもりもなく、もちろん腕も絵心もないが、その書中のある一節が好きで、今日まで捨てずに持っていた。処分しないで良かったと、毎日の小欄を書きながら思っている。一節とは、手塚さんが、自社の新人スタッフを叱りつける場面である。
▼ぼくのところの新人がある日なげいて、「ああ、おれたちゃ損だ。漫画の新機軸なんて、手塚先生や、ほかの人がみんな先にやっちまったんで、おれたちの手の出しようがない。時期が悪かったな」と言ったので、「ばっきゃろ!」とどなりつけたことがあった。自分たちの不勉強をタナに上げて、なんたることだろう。(引用以上)
▼手塚治虫さんの、ありがたい金言である。筆者も、自分の不勉強をタナに上げず、原稿に向かおう。