神奈川県平塚市の七夕祭りで、浴衣を着た少女たち。2003年7月撮影(YOSHIKAZU TSUNO/AFP/Getty Images)
天の川で逢瀬

七夕の物語 彦星と織姫を引き合わせた鳥がいた

 現在、七夕飾りには、願い事を書いた短冊や吹流し、投網(とあみ)などの切り紙細工を飾るが、それらにはそれぞれに意味がある。

 竹:七夕の原型が中国から伝わる前から、日本では、(竹)は神聖なものとして大切に扱われてきた。タケノコから親竹になるまでの期間の速さに生命力を感じ、強力な殺菌力を持つその葉に魔除けの力があると考えられていた。そのため、人々は竹で身を清めたり、魔をはらう儀式をしたり、神に祈りをささげたりした。今でも地鎮祭では、竹を立てて土地を清め、神社で宮司さんや巫女さんがでお清めをすることがある。

 飾り七夕の神である織姫・彦星に捧げ物をするときの目印として、神聖な植物である竹を立てたのが始まりで、後に、捧げ物が今のような飾り物に変化し、さらにはそれを竹に取り付けるようになったのではないかといわれている。飾り自体が文献に初めて記されたのは、鎌倉~室町時代のあたりで、ポピュラーになったのは、江戸時代になってからのようである。

 短冊七夕の歌にもある「五色の短冊」は、もとは五色の布が使われていたようで、裁縫や機織りが上達することを願って、織り姫に捧げたとされている。その他、針に五色の糸を通したものを飾ることもあった。後に、高価な布の代わりに紙の短冊となり、裁縫や機織りの上達といったこと以外の願い事も書くようになった。また、平安時代、貴族たちが、七夕まつりで詠んだ歌を「梶の葉」に書いたのが変化したという説もある。

 吹き流し:昔の織り糸を垂らした形を表わしており、機織や技芸の上達を願う。現在の吹き流しは、この五色の織り糸の形が原点といわれる。

 投網:折り紙にはさみを入れ、網目状にしたものを飾る。魚介の豊漁を祈ると同時に、食べ物に不自由しないよう豊作を祈る。今年の幸運を寄せ集めるという意味も含まれている。

 その他にも、最近は少なくなったが、野菜や果物などを描いた札もある。七夕と結びついた農耕のおまつりで、この時期に取れる野菜をお供えしたことからきている。

古くにはそうめんのお供え物も

 七夕には、冷たい素麺(そうめん)を頂いたり供物とする習慣があったようである。これもまた中国から伝わったものとされる。平安時代の醍醐天皇の頃、宮中の儀式や作法を集大成した法典「延喜式」が制定(927年)されたとき、旧暦七月七日の七夕節句に、そうめんの原型といわれる「索餅(さくへい)」をお供え物(おそなえもの)とするよう、定められていたそうである。


 なぜ七夕節句の供物がそうめんなのか。七夕伝説から、そうめんを天の川に見立てたという説、機織の糸だという説、夏に栄養価の高いそうめんを食べて健康増進をはかったという説、小麦の収穫を神に報告するためだとする説などがある。ともあれ、そうめんはすでに千年も前に、宮中行事には欠かせない食物であった。しかし、この習慣は現在ではあまり知られていない模様。

(文・安)