善には善の報いがある、古代の人は正直・親切

人の運命は名声、幸運、長寿、そして子供を産むかどうかなどを含めて誕生の瞬間から運命づけられています。しかし、歴史書には、ある人の運命が変わったとか、名声や財産がなかったのに手に入れたとか、寿命が延びたとか、子供がいない人が子供を得たとか書かれていることがよくあります。彼らの運命はどのように変わったのでしょうか?

張才は心が優しいため寿命が二倍に延長された

明の時代に張才という男がいましたが、幼い頃、鄭という学者と親しくなりました。張才はしばしば冥界の夢を見ました。

ある日、冥界から鄭の名前が書かれた看板を持った小さな役人が送られて来て、鄭を冥界に連れて行く夢を見ました。鄭の魂が捕らえられた後、裁判官は冥界の名簿をチェックし、「張の寿命は残り2年ある。鄭はすぐに投獄されるだろう」と言いました。数日後に鄭が死んだという知らせが届きました。

別の夜、張才は夢の中で再び冥界にやって来ました。門番が彼の名前を呼び、「葉落凋様があなたに会いたがっている」と言いました。しばらくすると青に白い模様の入った服を着た男がやってきました。付き随う一人が、「彼が葉落凋様ですよ」と言いました。葉落凋は冥界の裁判官でした。

葉落凋は張才に、「あなたの寿命は元々32歳だったが、心が優しいから、寿命が2倍になった」と言いました。張才は感謝し、話をしていると、突然かごを担いだ人々がやって来ました。

葉落凋は部下の1人に、脇に立っていた張才を、かごの中の人に紹介するよう命じ、部下は「これは張才です」と言いました。その人は張才をしばらく見つめてから、「張才は心が優しいから寿命が変更された。すでに名簿が変更され、彼の名が冥界から消された」と告げました。

かごの中の威厳のある人が去った後、張才は葉落凋に彼が誰であるかを尋ねたところ、葉は「彼は天下都城隍の神です」と言いました。それは管轄範囲の最も広い「天下の都市の神」であることが判明しました。そう言い終わると、彼は張才に別れを告げました。張才は全身に汗をかいて目を覚ましました。

その後、息子の張琳が高貴な地位にあり、権力もあったので、張才は大学の職を辞任して故郷に戻りました。当時60歳でした。彼が夢の中で聞いたのとまったく同じように、それから4年後に亡くなりました。

蹇英は人に親切で、良い息子に恵まれ福寿が増えた

明の時代の初期、六代皇帝の重臣だった蹇義は、式部卿(しきぶきょう)、東宮三師(とうぐうさんし)の役職までのぼり、彼の称号は「忠定王」でした。彼の長男である蹇英は、太常寺の少卿に任命されました。

蹇英は若い頃に馮氏と結婚しましたが、数年経っても、馮氏は子供を妊娠しませんでした。蹇義は偉大な学者だった楊士奇に祈祷文を書いてもらい、それから断食して入浴し体を清めて、神楽観宮殿に行って祈祷をしました。神楽観宮殿は明の太祖の時に建てられ、道教の「真武大帝」を祀っています。

祈祷の前、蹇義は夢の中で、誰かが道士に、祈祷文に間違いがあると言ったのを聞きました。目を覚ますと、彼は確かに間違いがあることに気づきました。間違いを正したあと、再び祈りました。彼の祈祷は非常に効果があり、すぐに妻の馮氏は2人の息子を産みました。長男、蹇霖は成長して「中書舎人」になり、次男、蹇霑は尚宝司の役人になりました。
 

明の時代の『太平樂事冊.嬰戲』は台北市国立故宮博物館に保存されています。(パブリックドメイン)

蹇英は親孝行で親切です。父親に仕えていたとき、隣家に使用人がいました。あるとき、その使用人が背中に壊疽を患って道端に捨てられましたが、蹇英はこれを見て憐れに思い、ある侍医に治療を求めて命を救いました。

別の時、蹇英が句容を訪れ崇明寺に滞在していたとき、寺院に住んでいた宦官の使用人も背中に壊疽を患いました。それは非常に深刻で死の危機に瀕していました。蹇英は別の医者、張栄に彼を治療するように頼み、彼を回復させました。

その後、蹇英自身も深刻な肺疾患を患い、薬が効かなくなりました。彼はいつ死ぬかと死を待っていた時、ある夜、神が彼に「心配しないで、あなたの寿命を延ばします」と言ったのを夢で見ました。しばらくすると彼の病気は治りました。

成化の最初の年(1465年)に、蹇英は74歳でこの世を去りました。

葛守禮は公正な審判を行ったおかげで寿命が延びた

明王朝の時、彰德府では何百人もの一族を巻き込んだ大きな強盗事件が発覚しました。葛守禮は当時、司法を担当する裁判官でした。尋問の後、彼は事件に関係のなかった何百人もの一族を釈放しました。後に戸部、吏部侍郎、戸部尚書と昇進し、出世しました。

40歳の時、葛守禮は深刻な病気に苦しんでいました。彼は病中、夢の中で、神が「徳を重んじて公正な審判をくだしたので、寿命が36年延長されるだろう」と言ったのを聞きました。

1575年、葛守禮が戸部尚書を務めていたとき、定年退職し故郷に戻り、太子少保の名誉称号を授与されました。1578年に76歳で亡くなり、ちょうど夢で見た通り36年長く生きました。

このように、運命の変化と寿命の延長は、人が善行をし、善を蓄積するかどうかと密接に関係していることがわかります。

(翻訳・星野一)