<心の琴線> うつ病の娘を救った 父の日記

【大紀元日本11月17日】「お父さん、すぐに私を迎えに来て。さもないと、私、階段を踏み外しそう」。2004年12月、_deng_世敏(ドン・シーミン)さんは助けを求める娘の電話を受けた。

高校3年生の娘の莉嬌(リージョウ)さんは、幾度もの選抜を経て、浙江大学の推薦入学に合格したばかりだった。「娘が長年がんばった結果、花が咲いた」と、_deng_さんが一安心した矢先の出来事だった。

_deng_さんはその夜、莉嬌さんを連れて家に戻った。学校に行きたくないと、ずっと泣いている莉嬌さんを見て、_deng_さんは、娘の心に問題が起きたと感じた。「長期にわたって、重いプレッシャーに耐えて勉強してきたから、ストレスが溜まったんだろう。きっと、それをうまく発散できないのに違いない」と思った。それから、_deng_さんは娘の回復を祈り、彼女の心の変化をつづる日記をつけ始めた。

2005年、莉嬌さんは順調に浙江大学国際経済貿易専門学部に入学した。しかし、これが悪夢の始まりだった。_deng_さんの日記は、その時の様子を日記に書いている。

「私は服を整理しながら、浙江に行く航空券を予約し、学校と連絡を取り、娘に携帯メールを送って彼女を落ち着かせた…」

「大学に入った後、彼女はさらに気が狂ってしまったかのようだ。自殺、休学、絶食、沈黙…なにもかも経験した」 

_deng_さんの妻は市外で働いているため、普段は、彼が電話で娘と連絡を取り合っていた。_deng_さんも仕事は非常に忙しかったが、日記は休むことなく書き続けた。

2008年、_deng_さんは突然、娘から次のようなメールを受け取った。「こんな生活、私はもう耐えられない。私は自分のやり方で、自らの命を絶つ。もう、私を放っておいて」

_deng_さんは急いで航空券を予約し、夜中に浙江大学に駆けつけたが、娘は父親に会おうとしない。その日、_deng_さんは娘の寮の下で一夜を過ごした。翌日、莉嬌さんがいやいやながら彼と会話をした後、父親と共に重慶に戻り、カウンセリングを受けることを承諾した。

数年後、カウンセリングと父の深い愛情により、莉嬌さんのうつ病は回復した。莉嬌さんは当時を振り返る。

「1年間休学し、病気で半年も休んだから、私は5年間も大学に通いました。数え切れないほどのお医者さんに診てもらったし、薬もいっぱい飲みました。いろいろな苦痛も味わいました。でも、私がどのような状態になっても、父はずっと私のそばにいてくれました」 

今年初め、莉嬌さんは初めて、父親が日記をつけていたことを知る。「とても厚い1冊のノートで、いろいろなことがたくさん書かれていた。父は5年間、夜もほとんど熟睡できず、一日たりとも楽しく過ごした日はなかった。私はずっと、自分だけが苦しんでいると思っていたけど、実は父が、私より大きな苦しみに耐えてきたのです」

父の日記は娘の回復をこう描写する。「娘がやっと自分を取り戻した。この5年間を思い出すと、一言では言い尽くせない」

莉嬌さんは、もうひとつ分かったことがある。もし周りの人の愛情がなければ、うつ病患者を癒すことはできない。自分のように、慈悲深い父親がいる幸運な患者がすべてではないだろう。真から悟った莉嬌さんは、猛勉強し、およそ半年をかけて心理カウンセラーの資格を取った。この社会で、うつ病を患っている人たちを救いたいと思ったのだ。

(翻訳編集・李頁)