THE EPOCH TIMES

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(15) 「苦難の逃避行」

2008年02月10日 09時33分

 突然、誰かがドアの外で小声で、「急いで本部の中庭に集合」と言いました。私はぱっと飛び起き、母は弟たちを起こしながら、弟の力を背負いました。それから私に、急いで靴を履くように、靴紐は必ずしっかり締めておくようにと言いました。

 私は靴を履くと、自分のかばんを背負い、肩には水筒を一つ下げました。もう一つの水筒は一が背負いました。母は、力を背負い、肩にはかばんを掛けました。用意はできました。

 母は、私に一の手を引いて先に出るように言い、その後で、窓の鍵を全部掛けてあるか確認し、カーテンをきちんと閉めてから、輝の手を引いて家から出てきました。そして、玄関にも鍵を掛けました。(普段は、出かけるとき鍵は掛けませんでした。)

 母は私に、暗くて道がよく見えず、周りもよく見えないので、弟の手をしっかり引くように、そして、空いた右手でお母さんの服の裾をしっかり握って、決してお母さんからはぐれないようにと言いました。

 私たちが開拓団本部に来てみると、中庭にはすでに何人か来ていました。ただ、真っ暗で、その夜は月明かりもなかったので、男の人か女の人かも見分けがつきませんでした。

 中庭には次々に人が集まって来ました。石井団長がメガホンで小声で話し始めると、みんなは突然静かになりました。団長はみんなに、子供の面倒はちゃんと見るように、道を歩くとき大声を出さないように、そして、決して隊からはぐれないようにし、互いに面倒を見合うようにと言いました。

 そのとき私はまだ幼く、それが日本が戦争で敗れる前後の避けられない逃避行生活の始まりだということが分かりませんでした。私は人群れの中に立って、団長の話を聞いているうちに、胸がどきどきし、足が少し震えてきました。怖かったからか寒かったからかは分かりませんが。私は左手で一の手をしっかり握り、右手でお母さんの服の裾を力いっぱい引っ張りました。その後も団長は何か言っていましたが、全く耳に入りませんでした。

 

(続く)

 

 

 

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