THE EPOCH TIMES

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(24)「中国人家庭へ…」

2008年03月31日 12時47分

 間もなく、母が私たちに熱々のトウモロコシ粥を運んできてくれました。一人に一枚ずつトウモロコシ粉で作った薄焼きパンと、さらには味噌と漬物もありました。中国の味噌も漬物もずいぶん塩辛かったのですが、熱々のトウモロコシ粥と漬物にありつけて、私たちはとても満足でした。母は何度もその家の主人に感謝していました。

 この家の中国人は張と言いました。子供が3人いるのですが、みんなもう大人でした。孫娘が一人いて、私と大して違わない年でした。私たちが北側の部屋で食事をしていると、いつも彼女が私たちを見にやって来ました。私はきまりが悪く感じましたが、女の子の友好的な顔を見て、すぐに安心して食べ始めました。お互いに話が通じないので、彼女はただ来て私たちを見ているだけだし、私もただうなずいて笑っているだけでした。

 私たちは数日間続けて、畑でトウモロコシもぎをしました。もぎ終わると、さらに茎を一箇所に集めて束ねなければなりませんでした。幸い、秋が過ぎてからは雨の日が少なく、畑の仕事が順調に終わると、私たちは屋内に入り、北側の部屋のオンドルの上でトウモロコシの粒をもぎ取ることになりました。部屋の中は暖かく、外に比べてずいぶん快適だったので、弟たちも熱心に働きました。

 私たちは1日で麻袋に幾袋分もトウモロコシの粒をもぎ取りました。時には野菜蔵の白菜の掃除もしたし、干して乾かしたトウガラシを紐で数珠つなぎにしたりもしました。トウガラシを触った手はどう洗ってもその辛味が落ちないもので、その手でうっかり顔を洗うと、顔がヒリヒリしました。ただその次からは同じ間違いはしなくなりましたが。また時には、トウモロコシの粉をひいたりもしました。

 総じて、秋からの農村は、農作業が多く、一日として休みがありませんでした。この家の中国人は、母の仕事ぶりに満足で、母は賢く少し教えればすぐ覚えると言っていました。母は大変に苦労しましたが、子供たちのために、朝早くから夜遅くまで一生懸命この家の仕事を手伝い、私たちにご飯を食べさせてくれた温情に報いようと必死でした。

(つづく)

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