THE EPOCH TIMES

【党文化の解体】第1章(4)  「伝統文化を否定する」

2008年03月31日 01時00分


 このような運動に、国民全員が必ず参加しなければならず、必ず態度を表明しなければならなかった。そして、踏み絵を踏むか踏まないかの二者択一の中で、中共に与しないものは、階級闘争の対象となったのである。
 

毛沢東「八億人の国民がいる。互いに闘争させなければ、どうやって制御するのか」(イラスト=大紀元)


道家は「真」を尊び、佛家は「善」を本とし、孔子は「仁」と「信」を主張した。ところが、共産党の歴史はまさに、「偽」、「悪」、「闘」の歴史だ。

 1987年、中共が定めた「公文書法」の第19条の規定によると、一般の公文書は30年経過すると、一般公開して国民が誰でも閲覧することができる。しかし、中共は今に至るまで相変らず、抗日、内戦、鎮反、土地改革、大飢饉などに関する歴史的資料を公開することを許さず、毛沢東、周恩来がスターリンと締結した中ソ秘密条約を公開する勇気もないようだ。中共は虚言によって隠蔽した罪悪が暴露されるのを恐れているのである。

 唯物主義は、精神領域の問題について全く無力である。例えば、「美」に関する理解はその一例だ。雨が降った後の虹、夕陽に染まった夕方の風景を唯物主義者たちはただ、電磁波のスペクトラムだと分析するだけだ。人間の愛情は人類自身のホルモンの変化だと簡単に片付けられてしまう。そして、人類の思いやりは、些細な凡俗の恩恵だと理解されてしまう。

 根本的に、人間性の美しいものはすべて、共産党統治の障害だと見なされている。中共は、否定的な意味を持つ「人間性論」という言葉を生み出し、党員に対しては、「党性(党員の規範)」で「人間性」を圧倒する必要があると言い、一般人に対しては、「人間性」は革命が徹底していない現われだと見なしている。

 中共は文芸宣伝の中で、かつて「禁欲主義」の旗印を高く掲げて、愛を否定し家庭を否定していた。しかし、最近の10年間で、中共は「禁欲主義」から180度転換し、「縦欲主義(欲望のままに振舞う)」を奨励するようになった。

 このような前後相反する政策を実施したのは、実は同じ理由によるものだ。以前人々に禁欲を強制したのは、共産党に忠誠を尽くさせ、党性を家庭と人間性より高い位置に置かせるためであったが、共産意識が壊滅した現在は、人々をエロとギャンブル、不倫などに誘い込み、人倫道徳を喪失させて、享楽の渦の中で党に反対する暇を持たせないようにするためだ。このような前後相矛盾する政策は、中共の統治の歴史の中でよく見られるものであり、その背後の目的は共産党の統治を維持することにほかならない。

 儒家文化の核心は家庭の倫理であり、この種の家庭倫理が注目するものは、愛情であり、仁愛である。共産党の宣伝の中では、階級意識が愛情と友情にとって替わった。例えば、「紅燈記」(党文化を宣伝する演劇)の中で、李玉和が歌っているように「人々は、世の中でただ肉親の情義だけが重いといっているが、私から見れば階級の情義は泰山より重い」というものだ。いわゆる「敵か見方か、階級で分ける」というものだ。 

 互いに階級の「同志」になったものは、すなわち革命大家庭の一員であり、「同志」にならないものは鎮圧の対象だ。「同志」か「敵」かという単純な二元対立関係ですべての社会関係を区分し、それが肉親あるいは友だち関係の上に置かれた。階級闘争が必要な時は、父子間で反目し、夫婦で仇となり、自分の肉親を告発し検挙し殴ることで、自らの階級性が人間性より高いことを示し、党への忠誠を示すのである。

 中共の宣伝の中に、「恨みをしっかり銜えて放さず、それを噛み砕いて無理やり飲み込めば、心の中に入り込んでやがて芽が出る」というものがあり、同様の歌詞が中国に溢れている。怨恨は、共産主義の動力の一つであり、共産主義の重要な情感の一種でもある。国民に怨恨の感情を繰り返し注入することによって、中共の各種の群衆運動を推進する原動力としてきた。それに対し、世の中に普遍的に存在する同情、気遣いと愛、善良などは、共産主義の階級感情の敵であり、必然的に消滅される対象となったのである。

 

「階級の苦しみを忘れるな。血と涙の恨みをよく覚えておけ」(イラスト=大紀元)


(※)秦の当時、奸臣・趙高が、皇帝に鹿を捧げて馬だと強弁したエピソードに由来した言葉で、嘘なのに本当だと言い張って他人を服従させるやり方。

(続く)

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