THE EPOCH TIMES

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(26)

2008年04月12日 08時51分

 母は私を慰めてこう言いました。「機会があればまた会えるんだし、日本に帰れるチャンスがあれば、必ずあなたたちを連れて帰るから」。

 そして、母は特に私に、「一はまだ小さいので、これからはあなたがよく面倒をみてあげるのよ。あなたたち二人が同じ家にならなくても、どんな具合かちょくちょく見に行ってあげてね。そんなに悲しまなくてもいいわ。機会があれば、お母さんもあなたたちの様子を見に行くからね」と言いました。

 母はしばらく希望が見いだせそうもない状況下にあっても、気丈なしっかりした口調で、私の心の内に希望をもたせるようとしました。あのとき、長男の一はわずか5歳でしたので、母の話がどれだけ理解できたか分りません。弟の心の中に恐怖があったかどうかも私には知るすべがないし、母の話を彼が覚えていられるかどうか、将来自分が日本人の子供であり、日本に帰らなくてはならないということを覚えていられるかどうか、母にも私にもわかりませんでした。弟はそのとき、お姉さんがしばしば会いに来てくれるだろうと思って、それほど心配していなかったかもしれません。

 これら全ては、それから10年後、私のそばにいた唯一の肉親である一が私から永遠に離れていったあの日に、誰もが想像もしなかったようなとても悲しい答えが得られたのでした。

 一方、私は、そのときまだ恐ろしいとは思っていないし、恐ろしいというのがどういうことか、十分には分っていなかったようです。母が会いに来てくれるし、いつか日本に帰るために迎えに来てくれるというので、私には見込みがあるように思えたし、心の中では母の言ったことは必ず実現されると思い込んでいました。

 しかし、私は突如、思い到りました。一と私が母から離れたら、母と次男と三男はどうやっていくのかと母に尋ねました。母は、「お母さんのことは心配いらないのよ。なんとかして生きていくから。下の弟二人はまだ小さいので、お母さんがいないとダメでしょ。お母さんは、この子たちを連れてどこか中国人の家へ働きに行くわ」と答えました。

 私は、中国人の家へ行って働けばご飯が食べられると聞いて、母に、私も働くからお母さんと一緒にいたいと哀願しました。母は困ったように、「どこの家だって5人も受け入れてくれないわ。あなたと弟はひょっとしたら幸せになれるかもしれない。行った先では、言うことを聞いてじっと辛抱しなさいよ」と言いました。

(つづく)

関連キーワード
LINE NEWSに『中国の今を伝える 大紀元時報』を登録する方法
^