THE EPOCH TIMES

【党文化の解体】第2章(9)「天に対する畏敬を批判する」

2008年05月24日 11時47分


 天子は即位後に、天を祀る礼を行う。毎年、正月の15日と冬至には、天子は天壇に赴き天を祭った。これは、天を敬っていた現れである。

 政治生活の中で、「天」は国を治める法則を明示した。孔子は 、「徳をもって政治をなす」と説き、北極星が本来の位置にあってあまたの星々を従えているというふうに譬えた。日常生活の中でも、「密室でささやく言葉も天は雷のように聞く」といい、兵法、建築、楽器なども皆天の規則を体現していた。たとえ反乱を起こすにしても「天の代わりに道を行う」という大義がなくてはならなかった。

 「天」に対しては、伝統観念の中では畏敬の念だけがあったのが、ただ共産党だけは「天」に対して闘争を行った。

 天に対する敬畏が人に対する道徳を繋ぎ止め、人命がかけがえのないもの(「人命関天」)という考えは生命の貴重さを表し、天人合一の考え方は自然を保護するのに有効であった。

 ただ、これらのものすべてが共産党の殺人と環境破壊にとって邪魔になり、共産党は逆に殺人にたよって人を恐怖のどん底に突き落として屈伏させ、「天と戦い地と闘う」という大言壮語を吐いて民衆からの崇拝を手にし、人々の自然を破壊する決心を引き出さなくてはならなかった。

 毛沢東は、「私は、坊主が傘をさしたようなものだ。法もなければ、天もない(髪の毛を意味する「髪」と 「法」の発音が似ており、傘をさしているので天はなく、自分勝手に悪いことをしても法も天もないことを比喩する)」と言ったことがある。

 これは本来、大胆不敵に悪事を働くことを貶すために用いられる「法もなく天もない(無法無天)」いう言葉であったが、勇敢さを称える褒め言葉にすり替えられ、人々をたきつけて「法もなく天もない」政治闘争と環境破壊へと駆り立てた。

 2-2) 運命と善悪応報の考えを批判する

 中国人は、「天」に対する敬畏の中から「天命」という考え方を派生し、「善悪応報」という考え方にいきついた。

 中国語の「運命を認める」という言葉を、中共は困境に処して消極的で、なすすべがないという意味に解釈したが、実は、この言葉の本当の意味は、「人事を尽くして天命を待つ」あるいは「事を図るは人にあり、事を成すのは天にあり」ということだ。

 孔子は、「死生は天にあり。富貴は天にあり。」といい、54歳の時に魯国の司法を司る高官を辞職し、14年間も各国を周遊し王道を広めた。彼はできないということを確かに分かりながらもそうしたのである。ここには、消極的に世の中から逃避するという意味はない。

 個人生活の中で 、「運命を認める」という思想は決して個人的な奮闘を否認するものではなく、ただ人生の中にはどうにも逆らうことのできないものがあるということだ。さらに一歩進んで言うなら、伝統観念の中では人の運命は、前半生さらには何世代も前に行った善悪によって決まる善報や悪報によっているというものだ。

 このため、「運命」はまた「善悪に応報あり」、「福報」、「悪報」と関係付けられてきた。『易経』にいわく「積善の家、必ず余慶あり。不善の家、必ず禍あり」。このような考え方によって、人々は熱心に善を行うようになった。自分の将来のため、あるいは子孫の代のために功徳を積むのだ。

 「善悪に応報あり」はまた、「頭上三尺に神あり」に基づいている。人の私的な言葉も天は雷のごとく聞いており、暗い部屋の中で心を欺いても神の目には稲妻のようだ」 などの考え方を基礎にしている。運命と応報を信じれば、人々は熱心に善を行うようになり、欲望にとらわれにくくなり、天に従って行い、一時の快楽にまかせて後の結果を顧みないということもなくなる。

 このような思想はなおかつ、人々が運命の中に天意があることを信じるよすがとなった。「人心に一念が生じれば、天地の必ず知るところとなり、善悪に報いがなければ、乾坤は不公平である」という考えはまさにその通りである。

 歴代王朝の交替について言えば、中国は文字を保有して以来、後代の歴史的大事件を予言していた。その正確さは人々を驚かすのに十分なものであった。この「天意に従い、この隆盛な時運を承る」という天命観は帝王執政の合法性を意味するものでもあった。

 ところが、中共は、 「運命」と「応報」を 「封建的迷信」だと批判し、こうしたことを題材にする演劇の上演と宣伝を禁じてきた。その根拠は、実証することができない 「進化論」と「歴史唯物論」という仮説だ。もし国民が報いを恐れるなら、絶対に中共の悪行には追随しないということを、中共は明らかに分っていたからである。

 (続く)

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