THE EPOCH TIMES

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(33)「近所の子供たちと過ごした楽しい日々」

2008年05月17日 15時27分

 不思議なことに、彼女は決して私には辛くあたらず、喧嘩をしたこともなく、私にとてもよくしてくれました。もし外の人たちが、私と弟を「日本のガキ」と呼んだら、彼女は自分より年上の男の子であっても喧嘩を仕掛けて罵ってくれました。彼女はヒステリー気味でしたが、養母とは正反対で、私を護ってくれました。

 総じて、当時、西院のこの何軒かの家の子供たちは私たちを侮辱することはなく、どの家の子供たちも私と弟にとてもよくしてくれました。特に、養母が「出て行った」「戻ってきた」という情報については、こっそり探って伝えてくれていました。このようにしないと、私は彼らと遊ぶことができなかったのです。

 私は彼らに折り紙で動物の折り方を教えたり(開拓団の学校で学んだもの)、紐を使ってあやとりを教えたりしました(東京でよく園子姉さんと一緒に遊んでいた)。そして、彼らは、私に羽根蹴りや「ガラハ」遊び(一種のさいころ遊び)を教えてくれました。

 その頃、私は毎日のように殴られていましたが、この沙蘭鎮新富村に住んでいた数カ月は、私の幼年期の記憶の中では美しい記憶の歳月を残すことができました。

 年が明けると、天気は次第に暖かくなってきました。屋根の上の雪は昼間には融け始め、中庭の日の当たるところも雪が融けました。日が暮れるとまた凍りましたが。朝起きると、軒下にツララがぶら下がっており、ちょっと触るとすぐに落ちて、粉々に砕け散りました。このような光景も、日本の東京にいた頃には見たことのないものでした。

 私は毎朝早く起きて、まずしびんの中身を捨てに行きました。人に見られるのが恥ずかしかったので、まだ誰も起き出していないうちに捨てに行っていたのです。私は時々、一人で小さな棒をもって軒下のツララを叩いて落としました。とても面白くて、あんなに長いツララが地面に落ちると、粉々になるのです。しかし、二、三日経つと融けてしまい、屋根の上の雪がツララになることもなくなりました。

(つづく)

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