【北京コレクション】(4)明清時代の胡同と四合院=北京郊外①
2008年06月08日 01時14分

【大紀元日本6月8日】北京の街から西へ90キロいったところに、“爨底下”(cuàn dǐxià)と呼ばれる村があります。明の永楽年間(1403~1424年)に山西から移住してきた人たちによって造られたと言われ、すでに500年以上の歴史を持ちます。
“爨”とは「かまど」のことですので、“爨底下”とは「かまどの下」ということになりそうですが、山西から人々が移住してきたとき、山の上に“爨里安口”と呼ばれる軍事拠点があり、その下にできた村なので、“爨底下”と呼ばれるようになったとも言われています。
ただ、“爨”の字は“興林大火”を縦に並べた形をしており、あまりにも画数が多いので、1958年に発音の似た“川chuān”の字に改めさせられ、今は一般に“川底下村”と呼ばれているそうです。
この村には、明清時代の胡同や四合院がほぼ完全な形で数多く残されており、人気の観光スポットとなっています。今回から数回に分けて、村の様子を記録した写真をご紹介します。
(DZ)
“爨”とは「かまど」のことですので、“爨底下”とは「かまどの下」ということになりそうですが、山西から人々が移住してきたとき、山の上に“爨里安口”と呼ばれる軍事拠点があり、その下にできた村なので、“爨底下”と呼ばれるようになったとも言われています。
ただ、“爨”の字は“興林大火”を縦に並べた形をしており、あまりにも画数が多いので、1958年に発音の似た“川chuān”の字に改めさせられ、今は一般に“川底下村”と呼ばれているそうです。
この村には、明清時代の胡同や四合院がほぼ完全な形で数多く残されており、人気の観光スポットとなっています。今回から数回に分けて、村の様子を記録した写真をご紹介します。
![]() |
“爨底下村”は、山を背に扇状に広がっている。村には、四合院や四合院風の塀で囲まれた住宅が76個残っており、現存する部屋数は656間だそうだ。(撮影=LG、2008.02) |
![]() |
中庭を4つの棟で取り囲むような造りになっている四合院が点在しているのがよくわかる。(撮影=LG、2008.02) |
![]() |
石畳の胡同。朽ちた塀が歴史を感じさせる。(撮影=LG、2008.02) |
(DZ)
関連キーワード
LINE NEWSに『中国の今を伝える 大紀元時報』を登録する方法
方法① 下記ボタンをタップ
方法② スマホでLINEを起動 > その他 > 友だち追加 > QRコード

中国臓器問題
奈良で『人狩り』上映会 奈良市議「地方から声を上げていきたい」
神韻
日本芸術界にインスピレーション、中国伝統文化の舞台
神韻