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ドイツ在住の中国人学者・仲維光氏

ドイツ在住中国人学者、現代中国・知識人を語る(その一)

 【大紀元日本12月4日】ドイツ政府系ラジオ局「ドイチェ・ベレ」 (DEUTSCHE WELLE)は今年8月、中国語放送部責任者の張丹紅氏(女性)に対して、番組司会を一週間降板させる処分を下した。張氏は北京五輪期間中、自社報道や多くの公の場で、「チベット」や「法輪功」関連のサイトをフィルターリングする中国当局のインターネット封鎖を擁護、中国共産党を「世界人権宣言」第三条の実現に 「世界のいかなる政治勢力よりも多大の貢献を捧げた」と賛美するなど多くの普遍な価値観に反する発言をした。同事件は、海外在住の中国人圏の親共派と独立派の間、大きな論議を起こした。北京大学出身で、20年も前にドイツに留学し、移住した、自由世界の民主及び人権の価値観に馴染んでいるはずの張丹紅さんは、なぜ中国共産党当局を代弁する発言を未だにしているのだろうか。

 張氏と似たような海外在住の中国知識人が、日本を含めた海外多くの民主国家にも多く存在している。中国のエリート大学で教育を受けた後、海外に留学、海外の大学でも更なる教育と教養を深め、学問及び専門領域で成果を出し、現地社会の主流に入り、しばしばテレビなどのメディアで中国問題の専門家として現地社会の視聴者に中国への理解において影響を与えている。しかし、中国で頻発している各問題において、学者のあるべき独立の立場を保てず、共産党教育で形成された独特な「共産党文化」を抱え、共産党当局を代弁する役割をしているのがほとんどである。

 民主社会で高度の教育を受け、長い年月を経ても、なぜ共産党文化を捨てられないのか。全体主義を研究テーマとするドイツ在住の独立派華人学者・仲維光氏と、分析哲学研究者・還学文氏が2006年、新唐人テレビ局の番組「中国フォーカス」で、中国知識人の特徴と、それが形成された環境、その変化などについて討論し、中国知識人に対する理解において、示唆に富む発言を行った。

 夫婦である仲氏と還氏はとも、80年代に中国大陸からドイツに移住した学者。還氏は、中国現代著名の哲学者、ウイーン学派唯一の中国人メンバーであった洪谦氏の弟子である。1983年ドイツに留学、分析哲学の研究に専念してきた。仲氏は、元中国科学院出身で、近代物理学思想の研究者だった、88年ドイツに移住した後、東ヨーロッパの共産主義社会と、共産主義国家の知識人について研究をしてきた。2006年、他の海外独立派の華人学者と民主運動家らと共に、共産党文化から離脱を提唱する「中国自由文化運動」を始めた。

 両氏の対談をここでまとめ、3回に分けて紹介する。

 1.共産党体制内の存在である中国の知識人

 還学文氏(以下還氏):中国の知識人が生活している環境は、民主社会の知識人の生活環境とは明らかな違いがある。つまり、全体主義社会と自由社会の違い。全体主義社会に置かれている中国の知識人は、特別な待遇を与えられる特権階級に入っており、共産党体制内の存在である。

 例えば、西洋社会では、中国人が知識人と呼ぶ学者と教授という人たちがいます。また、文学者、芸術家などの人たちがいます。このような人たちは西洋社会では特別な寵児としては扱われていないが、共産中国では違います。共産党は、一群の文化人を飼育しています。もしあなたは作家協会の主席、または専業作家であれば、何も仕事をしなくでも人並み以上の給料がもらえ、社会的名誉も有するなどの特殊な待遇を与えられている。

 このような中国の知識人たちは、生活の保障が与えられています。たとえ当局と異なる声を出して反体制者になったとしても、西洋社会の知識人のように自らの選択に自己責任を負わないといけないという意識が感じられない。共産党体制内にいる存在として、特別な権利がありながらそれに相当する責任を取らなくてもよいのです。もし、ある日体制内から離れてもこのような心理状態を捨てられず、独立の知識人である存在として自らの行動と言論に責任を取らないといけない意識に切り替えることがすぐにできまないのです。

 2.共産党社会の文化に染められている現代中国知識人

 仲維光氏(以下仲氏):少し補足したいと思います。中国ではいったい知識人という存在がいるのかとよく言われますが、私は70年代から、知識人に関する長年の研究で、知識人に関する定義をずっと考えてきました。

 一般的に、知識人はつまり知識と道徳を職業にする人たちのことを指しています。しかし、これらの人が各異なる社会、異なる歴史において、異なる形態を持っています。現在、中国社会の知識人は、すべての面において共産党社会の文化に染まっている特徴を有しています。

 共産党文化の特色は、独裁体制の社会です。政治がすべてを支配しています。知識人の学術を含めてすべては政治のために動いており、イデオロギー化されています。これは今日の中国社会の知識人の特徴といえます。この特徴は共産党が飼い馴らす文化人のみに限らず、いわゆる反体制者にもよく見られるのです。政治目的はこれらの知識人の第一特徴で、彼らの研究は単に学術研究のためではなく、一定の政治目的のためであります。そのため、今日の中国知識人からは、80年代以後も含めて、真の知識領域と文化領域において、質の高い作品はほとんど生まれてこなかったのです。

 3.伝統思想を保つ知識人こそ、中国社会の骨格

 仲氏:ただ、私は西社会で20年以上も生活した中で感じたのは、中国知識人の中でも、伝統を重んじる一部の知識人がいます。彼らこそ、中国社会の骨格といえます。

 この点に気づいたのは90年代に入ったからです。私は80年に中国の知識人について研究した際、東ヨーロッパの知識人と西洋社会の知識人の独立さをもって中国現代社会の共産党御用文化人を批判していた。また、共産党御用文化人と知識人の隷属性を、中国伝統文化から由来していると決め付けました。

 しかし、90年代の社会現象から多くの新しい認識と歴史的な現象を発見しまして、中国の知識人が歴史の伝統を重んじる面において、西洋社会の知識人とは違う特徴が形成されました。つまり、中国の伝統思想を引き継ぐ知識人は、中国社会の骨格のような存在となっています。

 これらの伝統を重視する知識人は、50年代以後では、陳寅恪氏(*1)と梁宗代(*2)の弟子である劉傑、還学文の先生の洪謙氏(*3)。私が特に言及したいのは、精華大学の黄万里先生。水利工学者として世界に知られる黄先生は、中国の伝統文化教育を受け、深い伝統思想の持ち主です。西洋科学教育と中国伝統文化教育を共に身につけた黄先生は、独立な人格と精神を有する知識人ですが、私は90年代以前には一度も彼の名前も聞いたことがなく、生前一度も会ったことがなく大変残念に思っています。

 共産党政権は、黄先生のような伝統を重んじる優秀な知識人を私たち後代の知識人と隔離させているのです。私はつい最近、黄先生が2002年まで生きており、90年代に、80歳の高齢でありながら、中国共産党中央のリーダーらに手紙を出したこともあったと聴きました。先生が書いた文章はとても純粋で伝統的で、いかなる共産党の文化色もなく、私たち後代の知識人、いわゆる名望のある知識人がまねることができないものです。

 最近、彼らの存在は少しずつ知られるようになっています。陳寅恪先生が、共産党に中国社会科学院歴史研究所の所長に就任される際、 第一に、マルクス思想を学ばないこと、第二に、自分の独立研究を進むという条件を共産党に出しました。また、三峡ダムと自然破壊に反対する黄万里先生は、われわれは人民に育てられ、永遠に人民を裏切ることをしてはいけないと話したことがあります。このような思想は、中国の伝統な知識人の考えで、西洋社会の知識人が見習うべき素質だと思います。

 4.共産党が育てた知識人が中国の伝統を失った

 仲氏:共産党が育てた現代中国の知識人は中国の伝統を失い、あくまでも西洋文化の産物です。現代西洋文化も多元的で、多面性があるのです。カードの表と裏に例えると、その表は人権、民主自由などの普遍的な価値観を追求する知識人。その裏は、左翼知識人から発展した共産党文化と共産党知識人。中国人の不幸ですが、この百年で、西洋近代化から生まれた知識人が多く出て、特に五四新文化運動以来、三、四代にわたりこのような知識人が生まれたのです。彼らは中国の伝統文化を失いながら、西洋文化の主流的な教育、西洋社会の価値観の訓練も受けていないのです。これは、同じく共産党体制であった東ヨーロッパの知識人と違うところです。

 例えば、ポーランドなどの東ヨーロッパでは、旧ソ連を含め、かつての共産主義体制下でも、一部の共産党体制外の知識人が存在し、独立性が認められました。ソ連共産党政権の歴史は1917年から1989年まで70年も経ていたが、ロシアの伝統と世界の歴史が絶えることがなくずっと知識人らが引き継いでいました。しかし中国の知識人が、五四新文化運動以来、西洋社会との繋がり及び中国の伝統との繋がりが、切断されました。

 五四新文化運動から、中国の知識人は二つの重大な岐路を迎えました。第一の岐路は五四新文化運動。それによって中国知識界全般が西洋化への選択肢を与えられたが、不幸にも中国の知識人は、西洋社会の共産党文化と左翼文化を選びました。

 第二の岐路は、共産党が政権を取った1949年。それにより、中国社会全体に共産党文化が注入されました。1949年以後に育った三、四代の知識人は、中国の伝統も持てず近代西洋科学の厳密な学術スタイルも養成されませんでした。ですので、たとえ共産党体制と異なる考えを持つようになった中国の知識人であっても、伝統も身に着けておらず、ルネサンス以来の西洋文化と学術の基本的な知識も欠けているのです。これは共産体制下にあった東ヨーロッパの知識人と明らかに違う点です。(続く)

(翻訳・肖シンリ)


*1.陳寅恪(チェン・インク, 1890年- 1969年)、現代中国の歴史学者、中国文学研究者、中国語学者、「現代中国のもっとも学問が高い者」との美称を有する。名門の出身で、若いごろ日本、アメリカ、ドイツなどで留学したことがあり、留学期間を通じて、モンゴル語、チベット語、満洲語、日本語、英語、フランス語、ドイツ語、および、パーリ語、ペルシア語、突厥語、西夏語、ラテン語、ギリシア語など10余りの言語について読解能力を獲得した。1925年3月に帰国し、清華学校の招聘を受け、王国維や梁啓超と共に国学研究院の導師となっり、并せて北京大学の授業も兼任し、歴史、国学及び仏教史などを授業した。1930年以後は、中央研究院の理事、歴史語言研究所の研究員及び第一組(歴史)の主任、故宮博物院の理事、清代档案編委会の委員などの職を兼任した。抗日戦争中、北から南まで中国の数多くの大学で転々として兼任した。中国共産党政権後、当局に、社会科学院の歴史研究所所長として招聘されたが、陳はマルクス思想を学ばないとの要求を出して招聘を断った。文化大革命中、紅衛兵の打撃対象とされ、迫害を受け、長年に集められた所蔵の書籍と原稿が全て焼却された。1969年10月7日、広州で逝世。

*2 梁宗岱(リャン・ジョンダイ、1903年-1983年)、現代中国文学評論家、詩人、フランス語学者、翻訳家、Shakespeare翻訳のもっとも権威者。20,30年代ヨーロッパで留学、帰国後北京大学、精華大学、広州の中山大学で授業をした。学問の弁論が好きで、口論からしばしば殴りあいまですることが逸話。文革大革命中、酷く迫害され、所蔵の絵、字、書籍など全て焼却された。本職がなくなり、漢方薬の製作で生計を立てた。

*3 洪謙(ホン・チェン、1909年-1992年)、1934年にウィーン大学のM・シュリックの下で博士学位を取り、武漢大学や北京大学を中心にウィーン学団風の科学哲学を導入し、北京大学教授兼外国哲学研究所長を務め、多くの後進を育てた。

 (08/12/04 06:21)  





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