進化論 三大証拠の破滅

難しい専門用語を避け、進化論を巨視的に考え、興味の持てる論理分析からでも、進化論の証明を否定することができる。

比較解剖学の「証拠」から見た進化論の論理における錯誤

進化論は、比較解剖学、古生物学と胚胎発育再演律との三つの証拠から成り立っているといえる。しかし近年の研究が積み重なるにつれ、三大証拠の瓦解が見られるようになった。そこではまず、比較解剖学から分析してみよう。

1.比較解剖学が、循環論証という進化論の論理における錯誤を暴いた
 (※循環論証:ある結論をある前提から導出し、その前提自体はその結論を前提とすることによって導出する)

科学的な観点から見て、もし一つの理論の証明が論理に違反するのであれば、その理論は成立しなくなる。しかし人々は進化論の論理錯誤についての研究を避けてきた。というよりも、研究すればするほど証拠がなくなるからである。例えば比較解剖学を通して進化論を論証する際に、「もしヒトはサルから進化してきたのであれば、ヒトはサルとの間にたくさんの近似する特徴を持つのであろう。なぜならヒトがサルとたくさん近似するところがあるので、ヒトはサルから進化してきたのである」という例をよく耳にする。これは「循環論証」の典型例である。論証例の前半には論理的な問題はないが(論理的な問題がないことは事実と合致していることを意味するわけではない)、後半には大きな問題があることに気づくであろう。より分かりやすい例を挙げてみると、「もし甲は乙の弟なら、甲は乙より背が小さい。なぜなら甲は乙より背が小さいので、甲は必ず乙の弟である」という理論になる。見れば分かるように、甲は乙より小さいからといって、甲乙における親戚関係を証明できたわけでもないし、甲乙の年齢を証明したわけでもない(例えば甲が乙の叔父の場合)。もしどうしてもこの例を成立させるのなら、後ろには必ず甲乙は兄弟であるという大前提が必要となってくる。同じように、進化論の推理を成立させるには、人間は動物からしか進化できないという大前提が必要となってくる。このように、循環論証はその論理において成立することのできない錯誤を抱えているのである。

2.論理における厳格な分析 

周知の通り、「命題」は「逆命題」とは等価値な存在ではなく、また相互を証明することができないのである。先ほど挙げた循環論証の例は論理における錯誤の典型例である。「命題」と「逆命題の否定」が等価なら、前者が正しければ、後者も正しくなる。しかし両者は相互を証明したわけではないことに注意してほしい。例えば、「もし甲は乙の弟なら、甲はきっと乙より背が小さい。もし甲が乙より背が小さくないなら、甲もきっと乙の弟ではない」の例を見れば、後半の一節は前半の一節を証明していないことが分かる。なぜなら命題の変換は証明の働きを意味するものではないからである。ゆえに進化論の論理分析についても、比較解剖学は証明することにはならない。

3.進化論は帰納法だろうか?
 (※帰納法;個々の事実から、一般的事実を導く事)

進化論は帰納法だという人がいる。この種の論理はちょっと難しそうで敬遠され勝ちだが、実際分かりやすいものである。帰納法では一つの命題について、もし含められたすべての問題を元に帰納することができれば、この命題は真理となる。しかし進化論について言うと、あまりにも多くの事実が帰納されないのが現状である。前史の文化を見れば、進化のスピード、種の大量生産の方式、進化の確率などの問題が帰納されないどころか、却って進化論を否定しているといえる。ゆえに進化論の論証は帰納法ではなく、あくまでも循環論証にすぎないのである。

 錯誤に満ちた「循環論証」は進化論のいたるところで見られる。学者さえもこの問題を当たり前のように考えるに至った。しかし分析してみれば、論理さえ分かれば、誰だってこの種の証明は詭弁に過ぎないことに気づくであろう。