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成語典故(図:柚子

【安歩当車】節倹勤勉、富貴をむさぼらず、貧しくても心の満ち足りた人

 【大紀元日本10月24日】 

 「安歩当車」という言葉は、車で運ばれる代わりにゆっくりと歩くという意味だが、後人の口伝えで熟語となり、節倹勤勉で、富貴をむさぼらず、貧しくても心の満ち足りた人を喩えるようになった。

 顔●(ガンショク)(●=「斤+蜀」)は戦国の時代、齊国の賢人で、名利に無関心、博学多識で、人品と道徳が高尚で、日常生活は更に質朴であった。

 ある日、顔ショクを慕ってきた齊宣王が、顔ショクを引見した。顔ショクを見た齊宣王が「顔ショク、前に出なさい」と言ったところ、思いがけず、顔ショクは同じ口調で「大王様、こちらにいらしてください。」と言い返した。

 顔ショクの言葉に、齊宣王はとても腹を立てた。齊宣王の身辺の大臣も異口同音「王は主君で、あなたは臣。なぜそのような無礼なことを大王に言うのか」と顔ショクを叱責した。顔ショクは「もし私が、大王様のおっしゃる通りに進みでましたら、私は権勢と富貴をむさぼり求めて、へつらうにすぎませんが、逆に、王様がいらっしゃることができるなら、王様こそ賢者(学者)を礼遇した素晴らしい明君ではないでしょうか」と答えた。

 顔ショクの話に怒りが治まらない齊宣王は、大声で「読書人が君主より尊いと言うのか」と問いた。顔ショクは落ち着きはらって次のように説明した。「読書人はおのずと尊いわけです。これには歴史的な根拠があるのです。昔の秦王は、齊国を攻撃する時、『賢者の柳下惠の墓地から50歩以内で柴を切る者は、すべて死刑に処する』と命じ、『齊王の首級を討ち取ってくる者は、諸侯に封じ、大金を与える』と命じたのです。つまり、君主の頭は、賢人の墓にも及ばないのです」

 齊宣王は言い返せなくなり、栄耀栄華で顔ショクを引きとめようとしたが、顔ショクは婉曲に断った。「私は、質素な生活に慣れてきた者ですので、おいとまさせていただきますよう願います。私は、ゆっくりと歩くことで、車で運ばれているように感じ、空腹になってから食べることで、肉を食べているような気持ちになるもので、静かで心の満ち足りた生活を望んでおります。臣下として言うべきことは語り尽くしましたので、おいとまさせてください」と齊宣王に別れを告げて、その場を離れた。

 その後、車で運ばれるよりゆっくりと歩くという意味の「安歩当車」という言葉は、後人により、節倹勤勉で、富貴をむさぼらず、貧しくても心の満ち足りた人を喩える熟語に派生していった。

(翻訳編集・柳小明)


 (09/10/24 05:00)