大紀元時報

神秘なる卍符 どんな秘密が隠されているのか

2017年04月09日 06時00分
馬家窯文化(ばかようぶんか)カラー陶器の上に描かれた卍符
馬家窯文化(ばかようぶんか)カラー陶器の上に描かれた卍符

 

女神アテネやバルテノン神殿の少女祭司の服装に現れた卍符

 

 

 

 ローマ時代に入ると、再び卍符が現れる。平和を願う祭壇などにみられた。ギリシャやローマ文化の伝播につれて、卍符は西洋文化全体に影響を及ぼしていった。

ローマの「平和の祭壇」

 

ローマの「平和の祭壇」

 

 卍符はインド・ヨーロッパ語族宗教の「十字のシンボル」や「太陽のシンボル」にさかのぼると解釈する考古学者がいる。メソポタミアと古代ギリシャの卍符は、インド・ヨーロッパ語族の文化の烙印であるのかもしれない。古代のインド・ヨーロッパ語族は、遷移する過程の中で、各地で遺跡を残した。インドに侵入した一族は、自らが信仰するバラモン教(ヒンドゥー教の前身)を持ち込んだ。これが、インドでの卍符の源とも考えられる。

 約4千年前に、タクラマカン(Taklimakan)砂漠に居住していたトカラ族(Tocharian)はインド・ヨーロッパ語族の白人種の一つである。1977年に、中国の新疆タリム盆地で古代トカラ人の墓穴が見つかり、その中から出土した多くのミイラは、かなり完璧な状態で保存されていた。また、墓穴の中から見つかった陶碗の上には、はっきりと識別できる卍符の図形が残されている。明らかに、卍符はトカラ人の信仰の中でも、「不滅」と緊密に関連づけられていたようだ。

卍符の古い歴史はさかのぼりにくい

 短絡的に、卍符はインド・ヨーロッパ語族の「太陽のシンボル」から発祥したと結論づけた場合、5千年前の中国新石器時代の馬家窯文化(ばかようぶんか)の中に現れた卍符を解釈することができない。また、卍符はロシアの民間で広く伝わっており、20世紀初めのロシアの紙幣にもみられた。

イスラエルの古い教会堂にある卍符図形

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