高智晟著『神とともに戦う』(65) 頻発する学校死亡事件①


 だがこのように、ずっと変わることなく我々の心の中に深く根付いていた安全に対する価値観が、近年になって揺らぎ始める。みずみずしく幼い、あるいは若い命が次々に奪われるという、この紛れもない情勢。それらが、安全に対する価値観がすでに揺るがされていることを、我々に突きつけているのだ。これまで長らく安全だと見なされていた学校が、今では人間の命を奪うほどの危険すら存在する。事故は決して偶然ではないのだ。この2年間に、幼き命が亡くなるという重大事件は、10件は下らない。これは、我々の警戒心を喚起するのに十分な真実である。

 「裁判長、学校に通う子供の命を脅かす安全上の問題は確かに存在します。王敬伊さん、この若い命が奪われた事件は、そのことを証明しています。しかし本日の審理を通じて、このような危険が起こる必然的な要因、およびこの種の人命を奪う危険が、長らく生命深くに根付き、存在してきたことを、我々は見出しました。この種の頑強で、文明社会が深く失望する危険や要因は、一体誰に関わりがあるのか。それは、今日の法廷で死亡児童の両親と法廷を前にして、悪びれたところもなくウソをつく、死亡児童から生前に師と仰がれた教師たち。つまり、真実や責任、最低限の道徳に対して、冷やかで無関心な態度を装っている彼らと深く関わりがあるのです」

 これは私が、死亡した学生・王敬伊さんの両親に法律援助をした際の発言である。この学生が生前、心から尊敬していたであろう教師たちが、裁判の場で、恥知らずにもウソをつき、集団で責任逃れをしたのであった(法廷尋問が終わるや否や、その教師たちが私を追いかけてきて、「本当は死亡した学生の両親へ同情の気持ちでいっぱいなのだが、飯碗(仕事)を守るために、裁判ではやむを得ずウソの証言をした」と声をそろえて告げた。これには私もうんざりした)。

 (続く)