THE EPOCH TIMES

中国ガン村の惨状 あるボランティア女性の報告

2011年08月06日 09時14分


 「まさか!肛門から便を出すなんて!来る前には、そのような仕事内容を聞かされていない」と、唐さんは一瞬ムッと来た。それもそのはずだ。もし事前に聞かせたら、ここまで来なくなるかもしれない、と彼らも心配していたのだ。

 もう逃げ道がない。ここまで来た以上、髪の毛も洗った、傷口も処理した、最後は排便補助か。やるしかない。この末期ガンの児童はすでに何か月も水を飲んでいない。お金がないからだという。浄水は1口や2口しか飲めない。長期間水を飲んでいないため、排便は一層困難になった。考えてごらん、半年以上も排便していないんだから、そのお腹がどれほど大きいか。

 硬くて臭い便、どうしたらいいのか。以前、私はマレーシアで臨終間際の人への奉仕活動に参加していた。まあ、病院で歌を歌い祈ってあげる程度のものだった。肛門を開いてあげて排便補助するなんてありえないことだ。たとえ、やれと言われても、私は自腹で人を雇ってやるはず。しかし、ここではだれもやってくれない。自分でやるしかない。私は全身が固まったまま作業を始めた。それからの丸1日、ご飯が喉を通らなかった。

 

ガン村のお腹がふくれた女の子(唐米豌さん提供)


その日の夜、私は心の中で誓った。明日は日が昇らないうちに早起きして逃げよう!

  翌朝になると、私はまた手押し車を押しながら出かけていた。昨晩の誓いはどこかに飛んでいたのだ。そして、自腹でたくさんの浄水を買ってきて、末期ガンの児童を持つ家を一軒一軒訪ねて、体を洗ってあげた。夜戻ってきたとき、髪の毛から足の裏まで体中が臭い。自分は本当にバカだ、誓いを忘れるほどのバカだ。明日の朝は絶対に早起きして逃げる!

 しかし、その翌朝になると、また誓いを忘れた。このように毎日誓って、毎日忘れるという日々が続いた。そのうち慣れてきて、麻痺してきた。不思議なことに、排便補助をしながら、マレーシアの民謡を歌うまでに余裕が出てきた。

 自分でも自分のことが分からなくなった。最初は震えながら、泣きながらだったが、最後は余裕すら出てきた。

 自腹で、ガン村でボランティア活動


 あれ以来、私は月の半分は広東省の医療チームに同行してガン村でボランティア活動を続け、月の半分は東莞でアルバイトして生活費を稼いだ。

 医療チームの医師と看護婦は全員ボランティアだった。休みを取るのがなかなか難しいため、毎回、チームのメンバーが変わる。ただ、体を洗うのは必ず私だった。

 医療チームは広東省各区の医師と看護婦からなっている。彼らの環境は本当に厳しい。私もすごく感動した。なぜなら、一般の中国人は絶対に参加しない。ガン村のようなところのこのような重労動なんてありえない。正直にいうと、初めは私は騙されて連れて行かれたと思った。実際の状況を事前にまったく説明されていなかった。ただ、人助けのボランティアができるか、患者を支援したことがあるか、としか聞かれなかった。私はその場で参加したいと即答した。現場に着いて、現状をはじめて知ったのであった。

 傷口を処理するのはまだできるのだが、肛門を広げるなんて!だれでもできることではないと思う。初めは私もできなかった。強い決心で克服できた。そのときの慌てぶり、怖い感覚、臭い匂い、などなど。そのうち、慣れてきて当たり前のようになった。自分の適応能力が結構高いのに気づいた。以前記者や、新聞制作に携わったおかげだと思う。どこへでも出かけ、何でもやる、そして、冒険心をすこし培っていたからだ。

 最大の悲しみ:一粒のキャンディ

 実は、私はこのボランティア活動を続けるのに躊躇はなかった。これらの子どもたちは成長する機会もなく、明日もないからだ。今日はまだ生きているのに、明日はもう死んでいるかもしれない。だから、彼らの夢を叶えてあげたいと思った。こどもたちの夢、理想、心の願いが何なのかを知りたかった。そして、私は一軒一軒の家庭を訪問した。その答えに私は驚いた。子どもたちは口を揃えて、「亡くなる前に一粒のキャンディを食べたい」と言ったのだ。50歳過ぎた私だが、娘が亡くなったときも、いろいろな天災事故に遭ったときにも、これほど悲しいと思ったことはない。

 マレーシアでは、すべての子どもにとって、一粒のキャンディはたやすいものだ。それが理想や、夢あるいは心の願いになるなんてありえない。しかし、これらの末期ガンを患った子どもたちはみんな、私に一粒のキャンディが欲しいと言った。この一件は私に強い衝撃をもたらした。私はこの子たちの夢を叶えてあげたい。心から喜んで叶えてあげたい。

 私は自分のお金でたくさんのキャンディを買ってきた。みんなに一缶ずつ配った。私の唯一の願いは、この子たちがこの世を去る前に、体を洗ってあげて、気持ちよく送り出してあげたい。そして、行く前に楽しそうにキャンディを食べてほしい。たかがキャンディだ。

 後に、ガン村に行く途中で強盗に遭い、脇腹を刺されてマレーシアに帰国して治療することがなければ、そして、中国政府のブラックリストに載らなければ、私はいまだにガン村でボランティア活動を続けているはずだ。

 強盗に遭い負傷して国に帰る

 多くの人が、私のことを「婦人の仁」だと評した。あの2人の強盗は私を傷つけ、金を奪ったのに、私はなぜ、公安の事情聴取のときに、彼らを告発しなかったのか。なぜなら、私の金を奪い、私を傷つけたのは確かにこの2人だが、私の命を救ったのもこの2人だったからだ。出血が止まらない私をみて、この2人は泣き出した。泣きながら手押し車で私を村の保健所に運んだ。その後、村民たちがワゴン車で私を町の病院に運んだ。後1分でも遅れていれば、私は死んでいたのだ。

 後に、公安警察が事情聴取するときに、私はこの2人の強盗を知らないと答えた。実際には、彼らの家族にも子どもやお年寄りがおり、私が体を洗ってあげたり、浄水を買ってあげたりしていた。事件発生後、多くの人は私のことを「婦人の仁」だといい、彼らを刑務所に送り込むべきだと主張した。しかし、私の命を救ってくれたのも彼らなので、私はそれ以上追究しなかった。彼らは本当に貧しくて、どうしようもなく、理性を失い強盗を起こしたのだ。

 この一件の後、神様が私を助けてくれていると感じた。ガン村での体験を書いた「血染綿花地」(血に染まった綿花の地)が、第三回星雲文学賞で短編小説の特別優秀賞を獲得した。賞金の額は、私が当時奪われたお金と同額だった。神様が私にお金を返してくれたのだ。

 ガン村の子どもには明日がない

 河南省のガン村では、植物がまったく生えなくなった。村民らは田植えができない。汚染された川の水で畑を灌漑できないからだ。だから、綿花以外は、野菜も米も、何も育てられない。

 実際には、ガン村のたくさんの写真を公表できない。恐ろしすぎるからだ。だれもがきっと怖いと思うからだ。

 ガン村のこどもたちはみんな、いきいきとしている。しかし、彼らには本当に明日がない。今日はまだ外で遊んでいるのに、明日は病床に倒れているかもしれない。

 彼らは本当に極貧だ。そのため、ガン村を離れることもできない。しかも、中国では引っ越したくてもその地の戸籍がなければ、引っ越すこともできない。マレーシアでは身分証明書を所持していれば、どこに住んでもいい。

 

 

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 オリンピックの盛大な式典と村人の命

 唐さんは後にマレーシアのあるシンポジウムで、中国のガン村の状況を証言し、参加者の関心を集めた。多くの人はその場で泣いてしまった。ある参加者が、ガン村の村民には飲用の浄水がないのなら、なぜ現地政府は支援しないのか、と質問した。

 「この問題は胡錦濤または温家宝に聞くべきだ。私は答えられない。私が知る限り、現地政府は支援を行っていない。そのときはまさに、2008北京五輪の準備・開催の時期だった。政府はこの件を隠ぺいし、現状を公表するはずもない」と唐さんは語った。

 「私は中国のインターネットでこの現状を公表した。中国政府が、五輪開会式の一つの出し物にかけた費用をこのガン村に使い、医療のサービスをすこしでも提供すれば、大勢の患者がもうすこし楽に生きることができたはずだ、と。この書き込みは30分もしないうちに削除された。私が中国のどのサイトに情報を発信しても、すぐに削除されてしまう。30分以内に消える。だから、その質問については、温家宝と胡錦濤に聞くしかない。私は答えられない」

 外国人はガン村立ち入り禁止

 シンポジウムでは、ある参加者が自分の体験を紹介した。それによると、彼女は30日間の観光ビザで中国を訪れていた。彼女は唐さんにこう質問した。「私は観光客の身分でガン村に入れますか」

 「あなたは入れない。村の入り口で遮断されるはず。絶対に入れてもらえない。外国人の身分だとばれたら絶対にだめ。私は流暢な広東語を話せるため、深セン市在住のおばさんと思われた。それでも行く先々の村では、まず町役場の許可をもらい、それから県政府の許可をもらわなければならない。そのようにして、毎回私は3か月間滞在できた」と唐さんは言う。

 「後に、外国人であることがばれてしまい、私は河南省でボランティア活動を続けることができなくなった。現地政府はガン村の情報を完全に封じ込め、外国人が入ることを絶対に許さない」

 中国を離れてから、唐さんはガン村の真相を本にまとめて発表した。彼女は依然として、中国で貧困者支援のボランティア活動を続けたいという。「しかし今、私は中国への入国が禁止されている。ブラックリストに載ったのだ」

 唐さんは外国人が見ることのできない、そして、多くの中国人が関心のない現実を図らずも見ることができた。彼女は、自分が目の当たりにしたのは氷山の一角に過ぎないという。「中国では一体、どれほどのガン村があるのか、知る術もない。控えめな統計でも、中国の農村部では3億人以上が安全な生活用水がない」という。


(※)唐米豌さん

 本名:陳美芬、1956年マレーシア生まれ

 

 

ガン村の真相を本にまとめて出版した唐米豌さん(写真=楊暁慧)


。長年、新聞記者を務め、後に引退してボランティア活動に励んでいる。中国のガン村での7年間のボランティア活動を2冊の本にまとめて、2010年に出版した。また、講演などで中国の現状を積極的に訴えており、「自分は普通の中年女性であり、できることは限られている。しかも、まだよく行えていない。本を通して、国際社会の共感を呼び、善意的な行いを広げていきたい」という。

 

 

(記者・楊暁慧、翻訳編集・叶子)

 

 

 

 

 

 

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