【呉校長先生の随筆】 ー12歳の少年の夢ー

【大紀元日本12月27日】今時の中学生は、インターネットやゲームにハマっているか、受験勉強に追われているかで、余裕のない子がほとんどだ。しかし、我が校に入った敏(とし)くんは他の中学生とはちょっと違っていた。まだ12歳だった彼は、入学した時すでに米国の陸軍士官学校(通称ウェスト・ポイント)を目指していた。3年間ずっと優秀な成績を維持した敏くんは、今度はスポーツと英語の勉強に力を入れていた。

敏くんは卒業する1カ月前、数人のクラスメートと私のところへ来て、卒業アルバムに記念の言葉を書いてほしいと言った。に向かって突き進むはつらつとした彼を見て、私は思わず、「李将軍へ、百万の兵士を率い、馬に乗り高台から指揮する気高い感情と雄々しい志を抱く古人の如く、明るく前進する若き君に特別にこれを贈る」と書き残して、恭しく彼に礼をした。

「李将軍へ」の四文字を目にした敏くんは途端に背中をピンと伸ばして胸を張り、両足をピシッと揃えて右腕を上げ、私に敬礼した。あまりにも厳かな態度だったので、私は彼を励まそうと「この地区ではすでに李麒麟氏という中将がいる。しかし、君は大将になる資質がある・・・」と話した。彼は、「長官。あっ、失礼しました。校長先生!大将は三ツ星を獲得しなければなれませんので、簡単ではありません」と真面目に答えた。クラスメイトたちは彼の軍人の物まねを見て、「李将軍、李将軍」とからかった。

他の生徒たちと話す敏くんは、立ち姿を崩さない。私は、「いつか、軍旗を翻した将軍専用車でこの地に戻り、車窓から母校を眺めて下さい。君が水をやった校内の小さい樹の苗は、すでに林になっているかも知れません・・・」と話した。それを聞いた彼は、急に涙目になった。こころの中で、いつか将軍になって母校を訪ねると誓ったように私には見えた。

その後、彼に会うたびに私は李将軍と呼んだ。数日後、敏くんの父親・李宗庚(り・ぞんげん)さんが重そうな大きい段ボールを抱えて私のオフィスを訪ねてきた。李さんは地元の名士で、人望あるとてもユーモラスな人だ。「将軍の父親がお礼を持って参りました。ここの特産品、40キロのマスクメロンです。校長先生からの優しい励ましのお言葉を頂きまして、本当にありがとうございました。せがれは将軍になる資質があると信じています」と微笑みながら話した。私は李さんと学校や家庭教育についていろいろな話をした。この父親の教育方針なら、敏くんは将軍にならざるを得ない様な気がした。

同じ日の夕方、学校の巡回で敏くんのクラスに寄った。ちょうど家庭連絡簿を持っていたので、私はコメント欄に、「尊敬する将軍のご両親様へ、我が校に敏くんのような優秀な生徒がいることは、大変光栄であります。これは敏くんが素晴らしい家庭教育を受けたからだと思います」と書いた。翌日、「李将軍」の母親がオフィスに現れた。今度は魚1匹と2本のヘチマを持ってきた。お母さんは緊張したせいか、2本のヘチマは自分が「産んだ」と言い間違えた。もちろん、お母さんは自分が種まきから成熟まで育てたことを言いたかったのだと理解できた。

中学校を卒業し、敏くんは台湾の陸軍予備校(高校と同レベル)に入学した。3か月の訓練を受けた後、教学実習のために母校に戻った彼はさらに成長して、軍人の気概に溢れていた。陸軍士官学校の2年生となった彼は、目標とする米国のウェスト・ポイントとバージニア士官学校を見学したそうだ。

私は6年前に転勤した後、一度もとの地区に戻って敏くんのご両親を訪ねたことがある。敏くんは15歳のときの夢を追い続け、元気に勉学に励んでいるそうだ。いつか「李将軍」が母校に戻ってきてくれることを楽しみにしている。

※呉雁門(ウー・イェンメン)

呉氏は2004年8月~2010年8月までの6年間、台湾雲林県口湖中学校の第12代校長を務めた。同校歴代校長の中で最も長い任期。教育熱心で思いやりのある呉校長とこどもたちとの間に、たくさんの心温まるエピソードが生まれた。

(翻訳編集・大原)