THE EPOCH TIMES

高智晟著『神とともに戦う』(83)権利を護りぬいた軌跡「この政権の敵は他でもない」(2)

2013年01月09日 12時40分


 人間性を喪失した医師達は、精神病患者ではないと明らかに分かっていながら私に抗精神病薬(フルフェナジン)を注射しました。最も残忍なのは薬の使用量が月二回までと決められているにもかかわらず、病院側は強制的に4回分の量をまとめて私に注射したことです。一人の若い看護士は良心の呵責から注射することができず、看護士長が仕方なく、涙を流しながら私に注射しました。彼女達が泣いた理由は、精神病患者以外に使用した場合の毒作用をよく分かっていたからです。二回目の注射で私は既に耐え難い苦痛にさいなまれ、床を転げまわりました。私が病院の陸科長に「病院なのにどうして医者としてのモラルが無いのですか」と詰問すると、課長の陸は「ここは病院ではない。刑務所だ」と無情に答えました。

 注射後の苦痛は言葉では言い表せず、身をもって体験しない限り理解しようがありません。想像に絶するものでした。昼も夜も眠れず、口の中は苦くてオウレン(注:漢方薬の一種で非常に苦い)より苦かったです。目の動きがにぶくなり、無表情で目が開かなくなりました。視力が低下したため、人の顔すらよく見分けられませんでした。ひどく精神が不安定で、命がゆっくりと体から離れていくのをぼんやりと感じていました。私の生命の危険を感じた病院側は前後して7、8回にわたって解毒薬を私に注射しました。注射を受けて5カ月目には、私は数を数えることすらできなくなりました。記憶力が著しく減退して、まるで別人のように人が変わってしまいました。ある看護士は本当に見ていられなくなり、「極まりなく残忍です。もし北京から調査に来る人がいたら、私は必ず全ての事実を明かすと約束します」と密かに私に話してくれました。入院中に他人の携帯電話を借りてこっそりと区長に電話したことがありましたが、区長の秘書は私が精神病院に不法拘禁されているのを知っていたものの、助けの手を差し延べることはできないと、はっきりと態度を表明しました。また日常的に「もう二度と陳情をしてはならない」と、主任医師から厳重に警告されました。息子が何度も交番と病院側に釈放を要請しましたが、たらい回しにされるだけで、決して釈放しようとはしませんでした。息子はまた、病院側にいわゆる精神病の診断書の提示を要請してみましたが、機密書類という理由で断られました。それから息子は担保釈放、転院など、いろいろと試みましたが全て拒否されました。最後に絶望的になった息子は、憤然として自ら脈を切って血書を書き上海テレビ局に投函しました。しかし記者は来てくれたものの、何一つ状況は変わりませんでした。反対に今までの境遇を外部にばらさないようにと、息子は警告を受けました。けれども鑑定を申請することは、個人の私達にとっては不可能なことであり、しかも政府がこのような自分たちにとって明らかに不利な鑑定書を許す訳がありません。絶望的になった息子と両親、兄弟は私が釈放されるためにひたすら病院と派出所に頭を下げることしかできませんでした。その上、派出所は息子に何度も保証書を書くように強要し「今後、陳情をするなら、その後のいかなる結果も引き受ける」という保証書を不本意ながら書かされました。

 残忍な拷問をなめ尽くした私は、ようやく2004年1月20日に退院することができました。前後合わせて計264日間、不法に拘禁されていました。最後に病院側は、食事費を支払わなければ釈放しないと、恥知らずにも請求してきました。とにかく一刻も早く病院から出るために“食費”を支払うしかありませんでした。彼らは長きにわたって、私達親子の精神に破壊的なダメージを与えながら、外部からの恐喝により圧力を加えました。無力な私達が、もう二度と正当な抗議をできなくする目的を実現した訳です。誰もが長期間の残忍な虐待に耐え続けることはできません。息子は私の悲惨な境遇の巻き添えとなり、残忍な迫害を受けている私を見て、助けることができない自分の無力さにとても苦しみ自分を責め続け、大学卒業後は就職する気をなくして、心理的にも精神的にも大変苦しんでいます」

(続く)
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