医聖・李時珍の伝説(2)

医聖・李時珍の不思議な誕生伝説

李時珍の誕生とその名前の由来は一見奇妙な神話に見えますが、明代の著名な作家である顧景星の『李時珍伝』には、李時珍が幼い頃から自分を神と話したことがはっきりと記載されていました。
 

石が話し、神が名を授ける
 

李時珍は、明代の正徳十三年(1518年7月3日)に湖北省の蘄春県で生まれました。 家族は代々医師を務め、父の李言聞は当時有名な医者であり、かつて皇居の太医署で働いていました。

伝説によると、彼が生まれる日に父の李言聞は何らかの理由で落ち込んで、釣りをするために雨湖に出掛けました。 普段は必ず何かしら収穫はあるのですが、今回は網を数本投げても何の収穫もありませんでした。最後の投網でやっと手応えを感じ、大きな魚かと思い喜んでいたら実は大きな石でした。 李言聞は落胆し、ため息を吐き、「石よ、お前とは何の恨みもないはずなのに、なぜ今日悪ふざけをするのだ?」

すると不思議なことに、石から返事がありました。「わたしはお祝いに来たのじゃ。奥さんの出産がもうすぐの様だが、何かして欲しいことはないかな?」石は彼に自分が雨湖の神だと告げ、「妻がもうすぐ出産する。早々に家に戻子の誕生を迎えるべし、何か不満があるのか?」と言いました。

それを聞いた李言聞は急いで家に向かいました。ちょうど戻った頃、子供が生まれてきたので、李言聞は「石珍」と名付けました。

その夜、李言聞はまた別の夢を見ました。その夢で八仙人の1人である李鉄拐がお祝いに来て「時珍、時珍、百病診られる。我の弟子になり、我の名を広げよ」と言いました。

この伝説が本当ならば、彼の名前と医師としての生涯は神々によって決定され、扁鵲のように彼の医療技術も神によって授けられたものです。彼自身が幼い頃から神であると発言したことや、晩年には坐禅修道に勤勉だったのは事実なのです。
 

白い鹿が入室し、自ら神と名乗る
 

明代の偉大な作家である顧景星は、『李時珍伝』を著作しました。 彼は『李時珍伝』に次のようにはっきりと書いています。「李時珍、字は東璧、蘄州人である。祖父、父、言聞とも代々医師務める。誕生時、白鹿が入室し、庭に紫靈芝が生え、幼い頃から神と見なす」

これの意味は明らかで、李時珍が生まれてきた時に、家族は白い鹿が家に入り庭に紫の靈芝が生えるを見かけたという意味です。白い鹿と靈芝は共に仙人の世界から来るものと認識されているため、李時珍は子供の頃から自分は神だと思ったのです。

顧景星は誰で、なぜ李時珍の家族についてこれだけの秘密を知っているのかを尋ねる人もいるかもしれません。顧景星も湖北省蘄春県出身で、学者の家庭で生まれました。曽祖父の顧闕と曾祖叔父の顧問は皆有名な理学者と教育者であり、顧問はかつて李時珍の先生でもありました。

顧景星自身も不世出の天才で、430巻の莫大な著作を残しています。 そのうち122巻が『四庫全書』に編入されました。 彼は家族を通して李時珍と知り合い、そのため『李時珍伝』を書く時、李時珍とその家庭の状況をよく知っているだけでなく、『本草綱目』もすべて読み終えたので、李時珍をとても尊敬し著作態度も非常に真面目なものだったのです。
 

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