嫦娥が月に行った本当のわけ

中国古代から伝わる「嫦娥にのぼる」という物語をご存じだろうか?前漢の頃に編纂された『淮南子』(えなんじ)に記され、月見の由来であるともいわれている。仲の良い夫婦が引き裂かれる悲劇の物語だが、その裏には、天上での按配があったのである。

 太古の昔、中国の帝尭(ていぎょう)の時代、嫦娥(じょうが)と大羿(だいげい)の夫婦はとても善良で、いつも民のために働いていた。ある日、天に突然10個の太陽が現れ、大地は暑さで燃え上がりそうになり、人々は耕作をすることができなくなった。草木や農作物は燃え、河川も枯渇してしまった。民衆の生活は苦しく、山や川に棲む怪物や妖怪も次々と出てきて人々に危害を加えた。

 大羿は民衆が苦しんでいるのを目にし、胸を痛めた。このまま燃え続ければ、すべての人が餓死してしまう。彼は命がけで民衆を助けることにした。

 彼は愛する妻、嫦娥に別れを告げて、仙人から神通力を授かるために苦難の旅に出た。彼は九九八十一の高山を乗り越え、八十一の大河を渡り、八十一の峡谷を通り抜けて、あらゆる労苦をなめ尽くした。そしてついに、仙山にたどり着いて仙人に会うことができた。大羿はひざまずき、仙人から一袋の赤色の神弓と白銀の矢を受け取った。

 大羿は仙人に叩頭の礼を終えると、昆侖(こんろん)山の頂に登った。彼は神通力で力いっぱい神弓を張り、9個の太陽をひとつずつ打ち落とした。

 大地は再び活気にあふれ、森林は濃緑色に染まり、農作物も豊富で人々は満ち足りた。民衆は再び幸福で楽しい生活を取り戻すことが出来た。

 自らの安否を顧みず、あらゆる労苦をなめ尽くして民衆を救った大羿の功績を認め、西王母(女神)は彼に一壺の不老長寿の薬を授けた。

 大羿は家に帰って来ると、妻との再会のうれしさから、九死に一生を得た経過を妻にまくしたてた。また、褒美に西王母から不老長寿の薬を授けられたことも話した。

 大羿は、「これで私達夫婦は永遠に愛し合い、一緒に生きて行くことができる」と妻に言った。嫦娥は、微笑みながら久しく会えなかった夫の顔を見つめ、夫が以前と違うことに気がついた。

 大羿は妻に、「早く不老長寿の薬を半分飲んで、残りの半分を私におくれ」と催促した。しかし、徳利の蓋を開けて薬を半分飲んだ嫦娥は、気分が悪くなってしまった。残り半分の薬を大羿に手渡そうと思った瞬間、手を滑らせて薬を地面に落としてしまった。

 あっという間に地中に染み込んでいく薬を見て大羿は驚きのあまり茫然となった。彼は大いに腹を立て、そのまましばらく猟に出かけたまま帰って来なかった。彼が狩りを終えて家に戻って来ると、妻がいない。彼は嫦娥を探し回ったが見つからなかった。彼が疲れ果てて月桂樹の下で休んでいた時、ふと見上げると妻の嫦娥がゆっくりと空に昇って行く姿が目に入った。嫦娥が月に向って徐々に飛んでいたのである。

 大羿は嫦娥を追いかけて走ったが、彼女はどんどん高く飛んだ。ついに、嫦娥は広寒宮(こうかんきゅう:月の中にある宮殿)にたどり着いた。

 大羿はしきりに悔やんだが、すでに遅かった。手柄を立て、貴重な不老長寿の薬を手に入れたが、それと引き換えに直面したのは愛する妻との永遠の別れだった。

 不老長寿の薬を得たことは福だったのか、それとも災いだったのか?これには考えさせられる。

 人の運命は定められている。西王母が大羿に不老長寿の薬を与えたのも、天意だった。嫦娥は本来天上の仙女で、神業(かみわざ)を持つ射手の大羿を見て、愛慕の心、俗念が生じ、世の中に落とされた。彼女と大羿が世の中で夫婦になったのも、一つはこの情の縁を果たすためであり、もう一つは大羿を手伝って救世の偉業を成し遂げることだった。世の中での情の縁を果たした後、二人は天上に戻るはずだった。

 しかし、天意による事であっても、人の心が変われば変化が生じることもある。嫦娥が手を滑らして不老長寿の薬を落としたのも、決して偶然ではない。

 嫦娥は大羿が家を離れた時、孤独に耐えつつ、苦しみを嘗め尽くした。彼女は少しも不満を漏らさず、努力して村民を助け、灼熱地獄の日々を過ごした。この時期に彼女が経験した様々な労苦により、天上で起こした俗念に伴うすべての罪業(ざいごう)を償ったのである。

 一方、大羿も、もともとは天上から下界に遣われ、大災難の中で民を救うことが使命だった。彼が射手の名人だったのも偶然ではない。彼も苦労に苦労を重ね、神弓と神矢を手に入れ、9個の太陽を打ち落とすという偉業を成し遂げた。しかし、郷里に帰る途中で受けた民からの尊敬と敬慕が、彼を有頂天にさせてしまった。人々は彼を命の恩人と見なしただけでなく、神のように崇拝した。大羿は、知らぬ間にうぬぼれていい気になってしまった。しかし、彼が成し遂げたことは彼の使命であり、経験したそれらの苦しみは、ただ彼が天上に戻るための試練にすぎなかったのだ。彼はその因縁に気づかず、一切の功労は自分一人のものだと思い込み、自惚れてしまった。

 彼のこの心を見た天帝は、「世間のものをこれほど重んじるようでは、たとえ無理に天上に戻らせても、結局は落ちていくだろう」とため息をついた。そこで、最終的に業を償った嫦娥を天上に帰らせ、大羿に引き続きこの世で生・老・病・死の一生を歩むよう按配したのだった。
 

(翻訳編集・清泉)