大紀元時報
日本の「経営の神様」松下幸之助の生涯を見る(2)

経営において最も大事なことは昔から変わらない「正しい生き方」

2021年8月20日 21時07分
(Photo by Alex Wong/Getty Images)
(Photo by Alex Wong/Getty Images)

 

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大手企業「パナソニック」の創業者、松下幸之助は、小学4年生までという学歴にも関わらず、「日本経営者の父」となりました。日本では「経営の神様」と呼ばれており、その大きな理由は、経営において最も大事なことは昔から変わらない「正しい生き方」だと証明したことです。

人々が彼について最も印象的な一つは、彼が人に対して非常に寛大で、利益よりも人を大切にしていたことです。 「終身雇用制度」や「ガラス式経営」など、企業経営の仕組みを先駆的に構築し、後世の日本企業に影響を与えました。彼からは、古代中国で儒家の道徳を持って商売を営んできた「儒商」と似たようなものを感じます。
少年時代の丁稚奉公の頃から、幸之助は損得に拘らない非損得勘定が出来ていました。不当な扱いを受けても、少しも憤りを感じないばかりか、自分の欠点を考えていたのです。いくつもの些細なことからビジネスの正しいあり方を学んできました。そうすることで、彼は豊かな才能を育んできたのです。
 

9歳の時に丁稚奉公に出て苦労したこと

松下幸之助は、明治27年(1894年)、和歌山県海草郡和佐村(現在の和歌山市)で生まれました。 彼は家族の中で8番目の子供で、末っ子でした。

家庭は裕福な方でしたが彼が4歳の時、父親の事業が失敗し、一家は没落しました。父親は他の事業にも挑戦し、それも失敗し、生活費を稼ぐために土地や家を売り、赤貧洗うが如しとなってしまいました。その後、父親は大阪へ出稼ぎに行き、幸之助も9歳の時、退学させられ、大阪へ奉公に出されました。小学4年生から幸之助の波乱に満ちた生涯が始まったのです。

彼の奉公生活は、電気・照明業界とは無縁ではあったものの、人としての正しい生き方や、社会の福利、非損得勘定を基本とした経営の価値観を形成する上で重要な時期でもありました。

9歳の時、母親のもとから離れ、大阪の「宮田火鉢店」に奉公に行き下働きをしていました。
食事と住居は与えられたものの、奉公の給料は低く、床掃除、子供の世話、火鍋作りなど、なんでもやらされ、よく手に切り傷ができ、我慢の毎日でした。 他の同じ年代の子らはまだ母親のもとで愛情を受けているような年頃だったのに、彼は言いつけを守って、毎日心の苦しみを抱えながら朝から晩まで働いていました。きっと母や故郷を思って夜、涙で枕を濡らしたこともあるでしょう。

しかし彼は父親に文句を言うこともなく、一生懸命に従順に働く、とても心が優しくて理解のある少年でした。最初の給料で、当時の5銭もらえました。5銭は50厘で、1厘で飴玉が一個買えたので、50里だと250個も飴玉が買えました。当時10歳だった彼は大金持ちになった気分になり「こんなにもお金が稼げるなんて」、「あれは人生で最も幸せな瞬間だった」と語っています。彼は生涯で10億円以上稼ぎましたが、彼にとっては、その時感じた250個の飴玉の価値は何ものにも代えがたいものだったそうです。

 

赤ちゃんをあやすために1銭を使った

しかし彼は金に目くらむ事はありませんでした。彼が店主の赤ん坊を背負っていたある日、道端のコマ遊びに夢中になりすぎて不注意で赤ん坊の顔をぶつけてしまいました。赤ん坊が泣きだしたので彼は迷わず駄菓子屋に入り、1銭で饅頭を買って与えたら、すぐに泣き止みました。それは給料の5分の1で、自分のためにお菓子を1個買うのも惜しいくらいで、飴玉1個食べられるだけでとても贅沢な気分になれましたが、彼は赤ん坊をあやすために「大金」を使ったのです。

このような幼い頃からの苦労があったからこそ、幸之助は家族を養うことの大変さ、生計を立てることの大変さを理解しており、「従業員のことをよく理解している」という声も多かったようです。しかし、中には苦労しているが、問題を前向きにとらえず、運命の不公平さを訴え、給料の低さを恨み、さらには屈辱を感じて、将来は貧困から抜け出して成功者になりたいと思っている人もたくさんいました。

一方、幸之助は、父の残酷さにも、苦労にも文句を言わず、少しでももらったものには感謝し、赤ちゃんを喜ばせるためには、惜しみなく与えることが出来る、とても善良な心優しい子供でした。人を大切にすること、お金よりも正義を重んじることは、常に彼の人間性の最も顕著な特徴でした。

 

帰省した父は夜間学校に行くことに反対、幸之助に奉公を続けるよう言った

最初の丁稚奉公は店が倒産したためわずか3カ月で終わってしまいました。母親は息子を小学校を中退させてしまった事を悔やんでおり、気の毒に思い、幸之助が家に帰って夜学に通うことを望んでいました。当時、彼は11歳で、家族は大阪に引っ越してきており、たまたま郵便局で人を募集していたので、母親からは辛い奉公から帰ってきたら郵便局の求人に応募して、夜間の学校に通ってほしいと言われていました。

幸之助は、母の言葉がとても嬉しく、早く母の元へ帰りたいと思っていましたが、なんと父は反対し、「お母さんは奉公をやめて家で夜間学校に通ってほしいと言っているが、私は奉公を続けて自分のビジネスで自分の人生を切り開いていくべきだと思う」と言いました。

父は、彼に店で腕を磨き、店の運営に必要な雑務から経営までを学び、一から始めて、あらゆる苦労を経験し、実践的に仕事をしてこそ、本当に生計を立てることができると考えており、これらの知識は学校で学んだことよりも大切なことだと息子に伝えました。幸之助は今度は五代自転車店で奉公を続けることになりました。

幸之助は、父の言うことに耳を傾け、文句も言わずに、ひたすら奉公を続けました。後に彼はあの時の父の的確な判断力に感銘を受け、父の教えがあったからこそ、今の自分があるのだと語っていました。

 

2回目の奉公 初めての経営 僧侶でなくても道の基礎ができている

父の反対により、勉強して学位を取ることはできませんでしたが、運命の不公平さを訴えることなく、幸之助は丁稚奉公で誠実に働き、毎日、自転車屋で自転車の修理を学び、あらゆる雑用やしんどい仕事をする日々を送っていました。

自転車の修理をしている間に、よくお客さんにタバコを1箱買ってこいと頼まれることも多かったのです。そんな時、彼は、仕事を中断して真っ黒になっていた手を洗い、タバコを走って買いにいったのでした。

しかしある日、ふと、「お客様を待たせているのに、手を洗ってタバコ屋に行って帰ってくると時間がかかる、もっと便利な方法はないのだろうか」と考えました。そこで彼は、自分のお金で先に買い置きしておけば、みんなの時間を節約できるし、お客さんが欲しいときにすぐに渡せるのではないかと考えました。タバコは20個が1ケースになっていて、それだけ買うと1個のオマケがついていました。そうすると月に約40個も売れ、オマケの2個を自分の利益にしました。多いときで、そのタバコの儲けが給金の4分の1に達する月もあり、お客からはそのようなアイデアが浮かぶなんて賢い子どもだと可愛がられるようになり、天才だと思われるようになりました。

こんなアイデアも実際には、用事を頼まれても文句を言わずに素直に仕事をして、その上でみんなが楽になる方法を考えていただけで、お互いの時間を節約するためのものにすぎませんでした。これも彼が一生懸命に働き、一生懸命に生き、人々が何を必要とし、何が不便なのかを知り、人々の生活を楽にしたいと思った結果のアイデアでした。

多くの人は、彼がこのようなことをすればタバコ1箱がタダでもらえることを知っていたのではないかと思いましたが、我々にはそれを推測する術がありません。しかし、その後に起こったことは、彼が金儲けのためではなく、人々の便宜のためにやっていたことを証明しています。

そのうち、同僚が彼の利益に嫉妬して、店の主人に文句を言いはじめました。 困った主人は、「もうやめておけ」と幸之助に伝えました。彼は自分の利益を優先することなく、主人の要求に応じました。このような場合、普通の人ならば、盗んだのではなく他人に迷惑をかけたわけでもなく、自分のお金でタバコを買って置いていただけなのに何がいけないんだと、とても不公平だと感じるでしょう。また、自分をいじめた同僚に憤りを感じることもあるかもしれません。

しかし、意外にも10代の少年は、批判に直面しても憤りを感じないばかりか、なぜ皆が自分に嫉妬しているのか、自分が何か悪いことをして不満になったのではないかと冷静に考えていました。そして彼は、そうか、利益があればみんなと分け合うべきだった、本来であれば、私が得た臨時収入でみんなに食事をご馳走して、みんなが得をして幸せになるべきだったのに、私だけが得をして幸せになってしまったので、それはおかしいと思われ、批判されてしまったのだと考えました。

このような考えが少年の心から出てくることは考えられないし、大人でもこのような考えができるのはごく稀です。彼は僧侶でなくても、道の基礎ができていて親切で、相手を思いやり、理解することを知っていて、相手の幸せを願える子供だったのです。

ですから、70歳の会長という立場でありながらも、批判を受けた際、真摯に謝罪し、前述の熱海での会談で危機を解決できたのは、決して偶然ではないのです。
このタバコ事件の後、お客さんへの優しさが祝福され、彼のビジネスセンスが再び発揮されることになったのです。

(つづく)

(翻訳 Amy)

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