古代には、ユニークな癒しの方法を持つ人々がいた。医学を学んでいない人もいて、その癒しの能力は実際に神々から与えられたものだった

常識を超えた、唐の時代の奇跡の治療法

古代には、独特の方法で病気を治す人がいた。医学を学んでいない人もいたが、実はその能力は神から与えられたものだった。 これについては、古文書にいくつかの記述がある。

神から与えられた癒しの力

唐の時代、湖北省湘州出身の楊元亮は、20代の頃、扁州(現在の江西省贛州市)の文山寺で労働者として働いていたが、その仕事に真剣に取り組んでいた。

ある日、仕事を終えて本堂で休んでいた楊元良は、ボーッとしているうちに眠ってしまった。 すると夢の中で、道教の最高神、元始天尊が「お堂が荒れているので、お前が建て直すのだ」と言っている夢を見た。 その改築費用を捻出するために、万病を癒す力を与えるというのだ。

目を覚ました楊元亮は、夢の中で起こったことを思い出して驚いた。 夢の真偽を確かめるために、何人かの患者を探してみたところ、全員が治ってしまったそうだ。楊元亮は夢の中で見たことが本当に真実であると確信していた。

その頃、カンという男がおり、背中に拳ほどの大きさのしこりができ、その痛みに耐えられなくなった。 彼は、楊元亮があらゆる病気を治すことができると聞いて、彼に会いに来た。 楊元亮は鋭利なナイフでしこりを取り除き、そこに薬草を塗った。 数日後、その傷は跡形もなく治っていた。

その結果、楊元亮の評判は高まり、多くの人が彼のもとに治療を受けに来るようになった。 楊元亮は、元始天尊から「病気を治すことで天尊堂建設の資金を調達し、患者が好きなようにお金を払うように」と命じられたことを説明した。 それを聞いた患者たちは、できる限りのことをしてくれた。 このようにして、楊元亮は1日に数万の診断料を受け取ることができた。

楊元亮はこのお金で材料を買ったり、職人を雇ったりして、すぐに天尊堂を改築した。 作業が完了する頃には、楊元亮の病人を癒す能力は次第に失われていった。
 

この薬局は、邱英の『清明上河図』(明代)に描かれている。 (Public Domain)


羅州出身の趙玄景も、楊元亮と同様に、神通力に恵まれていた。 趙玄景は一旦、病気で死んだが、5日後に生き返った。 彼が生き返ったとき、ある僧侶が彼に1フィートほどの長さの木の定規を与え、「病気の人を見たら、その定規で患者に触れなさい、そうすれば患者はすぐに治る」と言った。

その後、趙玄景は自宅の机の上に、僧侶からもらった木製の定規が置かれているのを見た。 彼は本当に治るのかどうか、患者に触れてみた。 すると幸運にも、触れられた患者たちは健康を取り戻した。 この噂が広まり、多くの人が彼に会いに来て、彼の家の前には病気を治してもらおうと毎日何百人もの人が集まってきた。

この情報は自然と宮廷にも伝わった。 これを聞いた武則天は、趙玄景を宮殿に呼び寄せて事情を聞いた。 宮中に病人がいて、趙玄景が木の定規で触ったところ、すぐに治ってしまった。趙玄景が木の定規を使って病気を治したことは、明らかに幻ではなかった。

そこで、武則天は趙玄景を宮殿から解放し、庶民を治療させた。 数ヶ月後、趙玄景は治療費を受け取るようになった。しかし お金を受け取ってから、次第に病人の治療ができなくなり、人も来なくなってしまった。

史料によれば、楊元亮趙玄景医学を学んだことはないが、神から与えられた治癒力で何人かの人を治した。それは、神が自分の力を世に示して、人々が神を信じるようにしたのではないだろうか。 趙玄景は、自分の欲のためにお金を受け取った後、治癒能力を失ってしまった。

銅の粉と酒で幽霊を殺す薬

同じ時代の医者で郝公景は、太山に薬を取りに行っていた。 ある時、天目を開いた男が薬を集めに行った帰りに、市場の幽霊たちが彼の持っている薬草を怖がって、みんな逃げてしまったのを見た。 そしてその男は、郝公景に薬草を頼み、それを幽霊退治の薬にした。 悪い病気にかかった人が飲むと治ると言われていた。
 

男は郝公景に薬草を頼み、鬼を退治する薬を作った(花咲かずなり / PIXTA)

定州出身の崔務は、馬に乗っていて落馬し、足を骨折した。 彼を治療した医師は、銅の粉末を採取して酒に混ぜ、彼に飲ませた。 彼の足はすぐに治った。 その後、死後10年以上経ってから、子孫が彼の墓を移して別の墓に埋葬したところ、折れた脛骨が銅粉で綴じられているのを見た。

答礼病という病気を治す

また洛州のある学者は、話すたびに喉で答えを出すという「答礼病」にかかっていた。 その学者は、有名な医師である張文仲(あるいは蘇澄雲)に相談に行った。 そして一晩考えて、解決策を思いついた。それは、『神農本草経』という本を読んでもらうことだった。

学者は多くの薬の名前を読み上げたが、ある薬に至っては、怖かったのか答えがなかった。 そして、張文仲はその薬を書き写し、学者に飲ませる薬を用意して、音を止めた。

参考資料:『皇室典範』

(翻訳・里見雨禾)