伝染病は知能を持っている?どうすれば逃げられるのか?(下)【未解決ミステリー】

伝染病は知能を持っているのか?

民間の言い伝えによると、伝染病は5人の疫病神が率いる疫鬼たちによってばら撒かれているといいます。道家の教えによれば、人々は互いに疑い合ったり、恣意的に行動したり、正理(しょうり)を信じず悪巧みをしたり、「不道不仁(ふどうふじん)」となって天の理に背き、平然と人を殺めたり、「不貞不孝(ふていふこう)、無愛無慈」となって自己中心的で妄想に走ったりすると「風(ふう)、寒(かん)、暑(しょ)、湿(しつ)」を招き、外から体を害することになります。

この道家の教えに沿って、先ほど紹介した伝染病が大流行した都市と比べてみてください。驚くほど一致していることが分かります。例えば、アテナイに伝染病が訪れる以前、裕福で豊かなアテナイ人の多くは贅沢三昧で、性的欲望に溺れ、男女関係の乱れや同性愛が流行し、暴力や殺人が横行していました。

これは、「神の鞭」と呼ばれた黒死病が発生した当時のヨーロッパでも同じことが見られます。当時の司教、ウィリアム・エディントンは、「人間の放縦がいかに恐ろしいものであるか……それが激化した今、神の怒りを引き起こすのは当然である。この大災害は、人類の多くの罪に対する神々の罰である」と述べました。

 

「アシドドのペスト」(1630年頃、ニコラ・プッサン作:パブリックドメイン)

 

古代ローマ帝国を滅亡へ導いた4回にわたる大災害も、後世の人々は天罰と考えました。当時のローマ人は道徳的に堕落し、淫乱であっただけでなく、イエスを残酷に十字架に磔にし、人道を失ってキリスト教徒を迫害していました。これにより、伝染病は、ローマ人の罪、誤った信念、道徳的な腐敗に対する神からの罰であると認識されるようになったのです。
 

奇跡か?神のなす業か?

さて、重くて暗い話はここまでにして、中世のヨーロッパ、黒死病が猛威を振るっていた時代に起きた奇跡を見てみましょう。ドイツ・バイエルン州のオーバーアマーガウでの出来事でした。黒死病により、オーバーアマーガウでは平均して2世帯に1人が死亡し、村中が恐怖に包まれていたのです。

村人たちは神父の導きに従い、跪いて敬虔に神に祈ります。もし黒死病から助けてくださるのなら、10年に一度、「キリストの受難劇」を演じ、この世の終わりまで続けていくと神に誓いました。現地住民の代々の言い伝えによると、村人たちが誓いを立てたその日から、誰1人黒死病に命を奪われなかったというのです。そして、オーバーアマーガウの人々は今もその約束を守り続けています。

 

2022年5月4日にオーバーアマーガウで行われた有名なパスーション・フェスティバルのシーン。10年ごとに繰り返される2000人を超えるパフォーマー(写真 記者会見中に撮影)の様子。(Shutterstock)

 

実際、災いの時、多くの人が神のご加護を祈りますが、効果がある時もあれば、ない時もあります。では、その違いは何でしょうか。カギとなるのは「敬虔」という言葉です。

本当に神を信じるなら、神の教えに従い、良い人格を持ち、欲望を抑え、道徳理念を高め、慈善の心を抱き、恨みを持たないようにすべきです。神の教えに反して悪いことをしながら、神を信じると言っても、誰が信じますか?そのような人を神はご加護をしてくださいますか?

実際、東洋の仏教や道教、西洋のカトリックやキリスト教など、教義は異なりますが、人類史上の正教にはすべて神を敬い、徳と善行を重視するという共通の教理があります。

今、無神論教育を受けた多くの人は、神の言葉の意味を理解できず、単なるいいがかり、あるいは自己欺瞞だと考えています。奇跡を目の当たりにしても、「偶然かもしれない」と思ってしまいます。

実際、多くの科学的研究を通じて、物質と精神が一致していることがわかりました。人々の善と悪のさまざまな考えは、自分自身に大きく影響するだけでなく、周囲にも影響を与えるのです。
(完)

詳しくはEPOCH TVをご覧ください
https://www.epochtimes.jp/2022/07/110944.html

(翻訳編集 天野秀)

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