THE EPOCH TIMES

人生探求: 執着と自由

2011年02月19日 07時00分
 【大紀元日本2月19日】私はかつて、ある先生からこんな話を聞きました。

 あるおばあさんは体が弱まり、亡くなる寸前でした。臨終の床についたおばあさんを見守っていた家族が僧侶を呼び、経を唱えてもらいましたが、なかなかおばあさんを極楽浄土へ見送ることができません。続けて3人の僧侶がやってきましたが、効き目がありませんでした。

 最後に到着した娘が、母親に聞きました。「お母さん、もしかしたら以前買った電気炊飯器を誰にも引き継いでいないことを心配しているの?」すると、おばあさんの目から涙がこぼれました。

 「お母さん、安心して。炊飯器がどこにしまってあるか、知っているわ。兄さんに使うように言うから」と娘が言うと、おばあさんは息を引き取りました。

 ある人は、言いました。「3人の僧侶をもってしても、おばあさんの大事にしていた電気炊飯器にかなわなかったのだ」

 電気炊飯器は昔、台湾で大変な人気商品でした。このおばあさんは一生かけて蓄えたお金で、ようやくこの電気炊飯器を買ったのです。炊飯器を使うことを惜しんだおばあさんは大事に隠し持っていたのですが、亡くなる寸前にこのことを思い出し、安心して往生できなかったというのです。おばあさんのこの炊飯器に対する執着心は、なんと強いのでしょうか。

 私は小さい頃に父を亡くし、残された母と私は借金で首が回らなくなりました。45歳で借金の返済を済ませ、やっと自由になれたのですが、貯蓄が少しあったため、芸術品の収集に没頭してしまいました。家の中は次第に芸術品で埋め尽くされ、移動にも困るようになりました。見かねた妻と子供たちは、「道楽に深入りしては本職が留守になります」と私に不満を言いました。しかし、私は彼らの忠告を素直に受け入れることが出来ず、芸術に対する執着はますます増大しました。そして、私はすでに人生の進むべき方向を見失っていたのです。

 興味深い事に、この「執着心」は動物の行動をも見失わせることが分かっています。

 ある心理学者は、ハツカネズミを使って次のような実験をしました。彼はネズミに満腹になるまで食べさせず、それらを常に飢餓状態に置きました。ネズミが成長して大きくなると、それらの脳部に電気を流し、行動を観察しました。

 予想通り、このネズミ達は部屋の中で一生懸命餌を探し、食物を蓄える努力をしていました。ネズミ達の努力は痛みを回避する事に注がれず、成長過程で覚えた飢餓感がネズミ達の行動をコントロールしていました。つまり、食べ物に対する執着が他の事に対する努力を失わせていたのです。

 こうしてみると、「執着」は生死の自由を奪い、方向性を失わせ、人生の自由をも失わせるものです。ある人は、「生きている時には物質的な物に縛られ、死んでも棺桶に閉じ込められる。人生はなぜ、こんなにも自由がないのだろう」と言いました。

 出家する者は3千の煩悩を放下しなければならないといいます。そして、初めて解放されるのです。本当の意味で私達の心の自由や快適な生活を次々に奪っていくのは、やはり心の中にある各種の執着なのです。

 執着の「執」は努力と追求、あるいは目標を指し、「着」は固着の意味です。二つの字を組み合わせると、執着は名誉、利益、情に対する行き過ぎた追求で、私たちは重苦しく縛りつけられているのです。例を挙げると、男女の愛情に対する追求は、往々にして「この人でなければ結婚しない」という執着に繋がり、他の相手に対する選択の自由を失います。

 執着は人々を迷わせ、自由を失わせます。最大限に自由を手に入れるには、名誉や利益、情に対する執着を取り除く努力をするしかないのです。

 
(翻訳・鈴木/編集・郭丹丹)


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