日本における漢方の始まり I

2015年07月13日 07時00分

【大紀元日本7月13日】日本では今から約1500年前、点在的に地方社会が形成され、畿内(奈良~京都)を中心に大和朝廷が次第に体制を整えていきました。そんな中、医療分野においては古来の民間療法に頼るだけでなく、大陸から伝わってきた医療が強い影響力を持つようになっていきます。当初、朝鮮半島を経由して導入されていた医療は、遣隋使(600~618)や遣唐使(630~894)によって直接中国から伝わるようになりました。当時の日本にとって、中国は憧れの文化国家でした。その為、航海の危険を伴いながらも、多くの僧侶や学識者が日本から中国主要都市へと渡ったのです。

 平城天皇の治世(806~809)に、漢方医学の流入に伴って日本固有の医方が廃絶の危機に瀕している事態を憂慮した桓武天皇の遺命により、『大同類聚方』が編纂されました。当時の日本の伝統医療を示す最初の資料と言われていますが、その後消失してしまい、現存する最古の医学書は984年に編纂された『医心方』です。『医心方』は本文が全て漢文で書かれており、隋代と唐代の医学が集大成されたものとなっています。

 中国は宋(960~1279)の時代に入り、印刷技術が開発されました。多くの書籍が製本され、それらは日本にも数多く運ばれました。北宋時代には『傷寒論』(後漢末期から三国時代に張仲景が編纂した中国伝統医学の古典)の研究が盛んになり、各種の宋版解説本が出版されます。この傾向は元(1279~1367)を経て明(1368~1661)代まで続きました。日本では鎌倉時代から江戸時代初期にあたりますが、この時期に持ち込まれた医学書を中心に、日本独特の医療体系が育まれていったのです。

 江戸時代にはオランダ医学(蘭方)が伝来し、これらと区別するために既存の医療を漢方と呼ぶようになりました。
 

(吉本 悟)
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