【季節のテーブル】サーカスが「靖国神社」にやって来た

ジンタ鳴り あれ市姫が テラ(地球)回し

【大紀元日本10月20日】頃は明治4年(1871)8月、フランスからスリエ団長が率いるサーカス(曲馬)団が横浜にやって来ました。10月21日、招魂社(靖国神社)の境内で打たれた外来の見世物興行は、「サーカスの日」として記念されることになります。

江戸時代に隆盛を極めた見世物小屋を背景に、日本の軽業や曲馬芸と西洋の曲馬術とがシルクロードを経て結びつき、競い合ってサーカス芸が発達してゆきます。名称は、小屋掛けの見世物興行から、明治時代は大曲馬・曲馬団へ、大正期にはサーカスへと定着が図られていきます。鳴り物入りで披露されたショーで、満場割れんばかりのやんやの拍手喝さいを浴びることが、芸人の励みであり、例えようのない生涯の喜びでした。

特に靖国講が勧進元となって仕切られた春季・秋季の大祭でのサーカス興行は、次第に爆発的な気勢を上げ、全国随一の見世物興行地の実力を遺憾なく発揮してゆきます。小人数の吹奏楽団(ジンタ)の「ジンタ・ジンタ・ジンタカタッタ」の人寄せの音が鳴り響くと、ハメルーンの笛に誘われるように、当時の人々は矢も楯もたまらず殺到したのでした。

縁日にその帳を開く市姫が、一本の綱渡りの命綱を地上に下ろします。神社の神聖な境内に市姫が舞い立つと、カーニバル的な市場が立ち、それに合わせて楽が奏せられ、芸能が献じられました。日本古来の見世物芸は、あの世を映すためにこの世を見せる芸(アート)として境内で発祥したものです。かつて明治の開花期に、靖国神社を華々しく輝かしたサーカスの栄光は、今いずこへと旅立ったのでしょうか?

(イザヤ・パンダさん)