ち球を俳句ing 雪解けの『漢俳』の春

【大紀元日本5月29日】1980年に漢俳という詩形が、中国で誕生しました。中華詩詞学会と日本の俳句界との記念すべき第1回交流の歓迎宴の席上で、挨拶に立った超朴初氏が自作の『漢俳』を披露したのが、この詩形誕生の嚆矢です。

緑陰今雨来

山花枝接海花開

和風起漢俳

(今まさに時の雨の恵みが、緑陰に出遭うためにやって来た)
(山花の枝が海花に接して、山と海(日中)の花が開くように)
(和の俳句に倣って、これから漢俳の風を起こすのだ)

漢俳は俳句5・7・5の形式を踏まえて、漢字で表現するという全く新しい詩歌の誕生を告げるものでした。中国漢字は一字一音の発声ですので、音律的には俳句と同様の17音のリズム世界を共有する事ができます。

5言句・7言句・5言句の三っつ重ねという奇数構成の創作が求められています。対句形式を尊重する中国の伝統からいえば、極めてイレギュラーな形式です。本来は別の形式である五言絶句の世界と七言絶句の世界を、違和感なく同居させる詩魂の新境地へと跳躍しなければならないからです。

日本は俳句にしても、短歌にしても、民謡にしても5・7の奇数の箱に収める語感に美を感じてきました。俳句「5・7・5」や短歌「5・7・5・7・7」は、それぞれ「3」と「5」の奇数の玉手箱に詩の言葉を放り込んで、日本の言霊の幽(かそ)けき消息を告げる美の表現形式なのです。

中国最初の漢俳が産声を上げてから25年後の2005年3月、北京で「漢俳学会」の創立大会が盛大に行われました。上海や幾つかの地方都市で同好会が組織され、漢俳を声に出して吟ずる人も増えるなど、中国の都会で着実に発展を遂げつつある姿を示しました。

温家宝首相が4月に日中の「氷を溶かす旅」のメッセージを携えて来日した折に、日中友好各団体主催の歓迎レセプションで漢俳を披露して花を添えています。

和風化細雨

桜花吐艶迎朋友

冬去春来早

(穏やかな風が、恵みの霧雨となり)
(桜の花色も一層鮮やかに、友人を迎えてくれる)
(冬が去り、春がもうやって来た)

この漢俳に対し、日本中国文化交流協会・辻井喬会長が返句の礼をもって応えました。中国の漢俳に日本の俳句の作法をもって、レセプションを締めくくったのです。

陽光満街路

和平偉友来春風

誰阻情信愛

(陽光が街路に満ち)
(にこやかな、いつも変わらない態度を示される偉い友が春風とともに来る)
(誰か信愛の情を阻まんや)
【返句の日本語訳は日本中国文化交流協会HPから引用】