タナバタ伝説

 

笹の葉さらさら 軒端にゆれる おほしさま きらきら きんぎん 砂子 
五色のたんざく わたしがかいた おほしさま きらきら そらから みてる
 

 

 地方によって新暦の7月7日、月遅れの8月7日、旧暦の7月7日にタナバタ祭りが賑やかに行われます。タナバタは中国伝来の星祭と、日本の祓えの習俗が結びついたものです。

 牽牛星と織姫星がタナバタの日に、年に一度の許された再会を果たします。この日ばかりは、織姫も機織りをお休みします。牽牛も畑を耕すことをやめて、天の川を渡ります。

 中国の七夕伝説の源流に「西王母と東王父」の物語があります。西王母は月の神様、東王父は太陽の神様です。このお二人の神様は輝く地球の光の中で、本当は一つに結ばれていました。天と地が分かれるに従って、太陽と月と地球が分離してそれぞれの道を歩み始めます。

 地球という星に大地が生まれ、大地を耕す光が外から注ぎ込まれます。分かたれたお月様の陰の光と、お日様の陽の光が地球の大地で結ばれて作物は育つのです。タナバタには三つのお星様の光を、再び一つにする願いが込められています。

 中国の神話世界に扶桑という世界樹が登場します。天と地が分かれた時に、天と地を結ぶ唯一の通路に扶桑という世界樹が聳えます。日本では笹の木がそれに代わって、天と地を結びます。時を経て扶桑によって分かたれた南北軸(北斗信仰と南面する大地)が、天の川を挟んだ東西軸(織姫と牽牛)へとスライドしました。西王母が織姫へ、東王父が牽牛へと変換されたのです。それにともなって宮中行事は民間信仰へと、人々の田畑へと降り立っていく契機が生まれます。宮中の秘儀から庶民の祭りへと、タナバタは解き放たれます。

 織姫は天帝の娘です。機織によって天の秩序を織り出す、女性の仕事を任されていました。この仕事は一日も怠ることはできません。大地にめぐみをもたらす五穀豊穣に、影響を及ぼすからです。牽牛は大地を耕す人間の姿です。織姫が織り出した天界のリズムに倣い、人間の知恵によって大地を耕すことが牽牛の仕事でした。

 織姫は絶え間なく機を織り、牽牛は大地に汗して畑を耕し続けました。やがて神話的な時間が経過した後に、天と地の境界に明瞭な地平線が誕生します。天はさらに希薄になり、地はさらに凝縮して、天と地に裂け目が生まれます。天と地を覆っていた濃霧が晴れて、透明な空気が地球の青空の下に出現します。

 大地から見上げる大空に、天の川が見えるようになりました。この時から人類は見上げる空に輝く星を発見して、星の天文学を築き上げていきます。天地の裂け目を流れるせせらぎの川が、天の川としてシンボライズされたのです。

 天と地の亀裂は、人類の意識に重大な変化をもたらしました。人類は地球を耕す文化に勤しむあまり、天が織り出す機織の音を聞くことから遠ざかっていきました。これを憂えた天帝は、織姫を地に遣わして牽牛との聖婚を執り行って、天の川に橋を架けなければなりませんでした。

 織姫が天から降り立って、牽牛のもとに通って成立した聖婚の睦まじい日々が経過します。織姫が地上に留まっていた日々に、織姫が織った天の羽衣が地に広げられて、大地を天のリズムによって織り成す儀礼の雛形が人々に示されました。この儀礼の数々が織姫によって遺されたことによって、地球の五穀豊穣を祝して天に返礼するチャンネルが開かれたのです。

 織姫は天帝の言いつけ通りに、天のリズムによって地を固めて富ます方法を人々に教えました。儀礼という目に見える雛形を伝えることによって、天の法則を忘れずに大地を耕す精神の眼を地上に芽生えさせました。それがタナバタ祭りへと継承されていきます。