【バンクーバー通信】カナダの国民的ヒーロー、テリー・フォックス

【大紀元日本9月19日】もし、カナダの街頭に立って道行く人たちに、「あなたのカナディアン・ヒーローは誰ですか?」と質問したら、どんな答えが返ってくるでしょうか?

地球温暖化に興味を持っている大学生だったら、デイビット・鈴木(有名な環境学者)の名を挙げるかもしれないし、歌手を夢見る女の子なら、セリーヌ・ディオンとかシャナイア・トゥエインといった名前を挙げるかもしれません。定年の近い人ならばトミー・ダグラス(老齢者医療保険制度を作った政治家)、ホッケーの選手になりたい男の子ならば、ウェイン・グレッツキー(有名なホッケー選手)でしょうね。少し前の首相ピエール・トルドーって答える人もきっといるにちがいありません。

では、もし、わたしのほうから「ある人」の名前を挙げたら、どんな反応が返ってくるでしょうか?きっと99%の人が文句なしに、この人はカナディアン・ヒーローだと答えるでしょう。

22才の若さでこの世を去ったテリー・フォックス(大紀元)

その人の名前は、テリー・フォックス。

日本の皆さまの中にも、彼の名前を知っている人がいらっしゃることでしょう。2005年6月頃、ビートたけしの「奇跡体験!アンビリバボー」で放送されたことがあるそうです。

テリー・フォックス(Terrance Stanley Fox テレンス・スタンレイ・フォックス)は、1958年カナダのウィニペッグ(マニトバ州)で生まれ、ポート・コキットラム市(ブリティッシュ・コロンビア州、バンクーバー市の近郊)で育ちました。

子供の頃からスポーツが得意で、特に水泳と飛び込みが得意で、何度も優勝してメダルやトロフィーも幾つも獲得しました。

テリーは、バーナビー市(バンクーバー郊外)のサイモン・フレイザー大学で体育の教師になるために動作学を専攻していました。その頃はバスケット・ボールに夢中でした。そんなある日、バスケット・ボールの練習中に右ひざに鋭い痛みを感じ、病院で検査してもらったところ、骨肉腫というガンだとわかりました。このガンは10歳から25歳までの男性に多く、大体がひざから発病するものでした。当時はまだ、命に関わる病気だったため、テリーは右足のひざの15cm上から切断を余儀なくされました。18歳のときでした。

サイモン・フレイザー大学のキャンパスに立てられたテリー・フォックスの像(大紀元)

テリー・フォックスの名前が命名された同大学の競技場(大紀元)

入院中、テリーは、幼い子供たちでさえこのガンという難病と戦っている事を知り、自分にも何かできることはないかと考えるようになりました。そんなある日、雑誌で義足のランナーがニューヨーク・マラソンに出場したのを見た彼は、決心しました。カナダをマラソンで横断しながら、全国民2200万人から、1人1ドルずつガン撲滅基金に寄付してもらおうと考えたのです。彼はそのマラソンを「希望のマラソン」(Marathon of Hope)と名づけました。

この決心から3年後の1980年4月12日、5000kmものトレーニングを重ねて準備万端のテリーは、出発地のニューファンドランド州セント・ジョンズで大西洋の海水に義足を浸し、目的地のブリティッシュ・コロンビア州の太平洋に足を浸すことを目標に、毎日42.195キロの完走をめざしました。

バンクーバーのダウンタウンの東にあるBCプレース(スタジアム)にあるテリー・フォックスを称えた門。内側には、彼の肖像画と走った行程の地図が刻まれている。(大紀元)

ちなみにこの距離は、北海道から沖縄までの直線距離の2.7倍あり、それを7カ月で走り抜こうとしたのです。しかも、2200万ドルを集めようという前代未聞の計画でした。

テリーが走った行程が刻まれている。(大紀元)

出発した当時は、まだ誰もテリーのことや彼がやろうしていることを知りませんでした。街を通り過ぎても誰も声援してくれないし、寄付もしてくれませんでした。

わたし自身もこの頃すでにバンクーバーに住んでいましたが、当時学生だったこともあり、当初は知りませんでした。学校を卒業した頃だったでしょうか、夏休みの頃には毎日テレビのニュースでテリーを見ていました。東部の気候は4、5月はまだ寒いし、夏は蒸し暑く、しかも毎日42.195キロを片足義足で走ろうというのですから驚異的なことです。

メディアで知った国民は感動し、一緒に走る子供や車椅子の人々、道路脇で彼に応援の募金を渡す人々の輪が広がっていきました。

しかし、出発してから143日目の1980年9月1日、5373km走ったオンタリオ州サンダーベイ郊外で、あまりの胸の痛みにマラソンを中止せざるを得なくなりました。検査の結果、ガンが肺に転移していることが分かり、即入院することになりました。

テリーの全身を描いた3m位の迫力ある絵(大紀元)

病院での治療にもかかわらず、翌年の1981年6月28日、23回目の誕生日を1カ後にひかえ、テリーは22歳の若さでこの世を去りました。

テリーの入院後すぐに、カナダのCTVがテレソン(テレビの長時間特別番組)を企画し、テリーの意志を受け継いだカナダの有名な歌手や映画俳優が集まってチャリティー・ショーを行い、1000万ドルの寄付が集まりました(BC州政府とオンタリオ州政府からそれぞれ100万ドル、残りは民間からの寄付)。

同年9月の第2日曜日に「第1回テリー・フォックス・ラン」が始まり、カナダ国内で30万人が参加し、350万ドルの寄付が集まりました。

「テリー・フォックス・ラン」は、今ではBC州だけでも100カ所以上のスタジアム、大学、コミュニティー・センターなどで開かれており、カナダ全体だと1000カ所くらいになるそうです。

今月16日に行われた「第27回テリー・フォックス・ラン」のバーナビー市スワンガード・スタジアム会場は、あいにくの小雨でしたが、三世代の家族連れや学生、赤ん坊から年寄りまで多くの人が、2km、5km、10kmのコースを歩いたり、走ったり、車椅子や自転車で参加したりしていました。

この日参加した人たちによって記された、ガンと戦っている家族や友人の名前が書かれたボード(大紀元)

2kmの走るコースを完走し、証書をもらってにっこりのお二人(大紀元)

スワンガード・スタジアムのテリー・フォックス・ランの進行係アンナさんは、テリーと同じく骨肉腫を患い、これまでに何回も手術を受けている。幸い、足の切断は免れたが、ガンが肺に転移し手術をしなけれがならない。「こうやって、このイベントに参加できることを光栄に思っている」と話していた。(大紀元)

9月16日、スワンガード・スタジアムのテリー・フォックス・ランに参加し、YMCAの曲に合わせて準備体操をする参加者たち(大紀元)

「テリー・フォックス・ラン」は世界のおよそ60カ国でも開催されており、日本では東京の皇居外周や岐阜、三重でも開催されています。興味のある方は www.terryfoxrun.org/ または「テリー・フォックス・ラン」で検索してみてください。

また、テリーは療養中、体の調子が良い日には、友人のリック・ハンセン氏と車椅子でバスケット・ボールを楽しんだそうです。ハンセン氏は、車椅子で世界をまわり、脊髄損傷の研究基金を募った人で、二人は同い年だそうです。ちなみに、彼の車椅子の旅は「マン・イン・モーション」と名づけられました。

テリーについてもっと詳しく知りたい方は、http://10e.org/terryfox/ をご覧ください。CBC(カナダ放送協会)ニュースのアーカイブの動画も見ることができます。

テリーは今でもやっぱりカナダのヒーロー

*1981年、最年少で「カナダ勲章」を授与。

*1999年、インターネットで行われた「カナダで最も有名なヒーローは誰」という投票で見事1位に選ばれた。

*CBC(カナダ放送協会)「カナダで最も偉大な人物は誰」の投票で2位に選ばれた。

*2005年3月、カナダで最初の1ドルコインの人物モデルとなった。

*このほかにも、テリーが卒業した中学校が彼の名前に改名されたり、図書館、競技場、劇場やハイウェイなどがテリー・フォックスと名付けられています。

ところで、テリーの呼びかけたガン撲滅基金に、現在、世界中から4億ドルが寄付されているそうです。

(バンクーバー記者=春馨)