中国伝統文化の精髄―「二十四孝」(3)

【大紀元日本9月23日】「」は儒家の倫理思想の核心であり、長い間中国社会で家庭関係を維持するための道徳基準であった。それは、中華民族の伝統的な美徳であり、中国伝統文化の精髄でもある。

元の郭居敬は、中国古代の孝行が特に優れた24人の故事を集め、「二十四孝」を編集した。後に絵が配され、「二十四孝図」として孝行の道を広めるための通俗読み物となった。

老菜子:二十四孝図より)

07 老菜子

老菜子(ろうらいし)は、春秋時代の楚国の隠居人で、世の戦乱を避けるため、蒙山の南麓で自ら耕す生活を送っていた。彼は両親に孝順で、おいしいものを選りすぐっては両親に食べさせた。70歳になっても、常に五色の鮮やかな衣を纏い、手には電電太鼓のようなものを持って子供の如く戯れ、両親を楽しませていた。

あるとき、両親にお茶を運ぼうと部屋に入ったとき、躓いて転んでしまった。彼は、両親が、子供もとうとう年老いてしまったと悲しむのではないかと心配し、床に横たわったまま子供のように大泣きして、両親を大笑いさせた。

董永:二十四孝図より)

08 董永

董永(とうえい)は、東漢時期の千乗(現在の山東省高青県北)の人で、幼いときに母を亡くし、兵乱を避けるために安陸(現在の湖北)に転居した。その後、父が亡くなったとき、葬式を出してやるお金を得るために、彼はお金持ちの家に身を売った。

仕事に行く途中、彼はエンジュの樹の下である女性に出会った。女性が「帰るところがない」というので、二人は結ばれて夫婦になった。その女性は、一カ月で300匹の錦織を紬いで、お金持ちの家から夫を見受けした。

家に帰る途中、あのエンジュの樹の下で、女性は、「私は、天帝に使える身で、親孝行な董永さんの負債を助けるようにとの命を賜って、この世に下りてきたのです」と言い終えるや、空の彼方に飛び去っていった。

丁蘭:二十四孝図より)

09 丁蘭

丁蘭は、東漢時期の河内(現在の河南、黄河の北)の人で、幼い頃に両親を亡くしたが、常々、両親の養育の恩を偲んでいた。そこで、かれは両親の姿を掘り込んだ木像を造り、生きているかの如く木像に仕えた。彼は、何事も木像と相談し、毎日三度の食事も両親に供えてから自分が戴くことにした。そして、家を出る際には挨拶し、帰ってくると必ず面会し、これを怠ることがなかった。

これに反し、妻は、時間が経つうちに木像に対する尊敬の気持ちがなくなり、好奇心から木像の手の指に針を突き刺した。すると、木像の指から血が流れ出た。

丁蘭が家に帰ってみると、木像が涙を流していた。妻を問い詰めて実情を知った彼は、妻に暇を出したという。

(翻訳/編集・太源)