≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(66)

趙おばさんは、当時たしかに私を娘にしたいと考えており、何度も趙に改姓するよう言いました。ただ、私は趙になんか改姓したくありませんでした。というのも、私は趙玉恒の家を飛び出してきたばかりで、小学校の同級生たちも皆、私が趙玉恒の家に売られたトンヤンシーで、だからこそ趙家は私が学校に上がって勉強することを認めたのだし、学校を出た後は正式に結婚することになっていると知っていたからです。

 小さな片田舎の沙蘭鎮では皆が、私のことを日本人の子供で「お馬鹿者さん」というんだということを知っており、養母は私に腹を立てて、結局私を売ってお金を手に入れたということまで知っていました。だから、もし私があの当時すぐに趙淑琴と改名していたら、学校の同級生たちはきっと、私が本当に趙家への嫁入りに同意して、本当に趙玉恒の家の人間になったんだと誤解したことでしょう。

 だから、私は心の中では趙姓になることをとても嫌がっていたのですが、そのことをおばさんに直接はっきり伝えるのも難しく、結局、「今はとりあえず改姓せず、中学に入ってからにしましょう」と相談しました。

 すると、おばさんはとても不機嫌になって、「お前が趙姓になる気がないのなら、もゆかりもないお前を養う必要もない。趙家の娘になりたくないのなら、今すぐ出て行っておくれ」と言いました。

 私は急いでおばさんの下に跪いて説明しました。「本当はおばさんの傍にいて娘になりたいのですが、今すぐには改名したくないんです。学校を卒業してお金が稼げるようになったら、きっとおばさんを養います。決しておばさんの恩情を忘れませんから」と言ったのです。

 ところが、私がこんなふうに跪いてお願いしたものだから、おばさんは、まるで私が将来お金を稼げるようになったら弟を連れてここを離れるんじゃないかと心配したようです。

 おばさんはその後しばらく思案にくれているようで、何も言いませんでした。夜になって、おばさんは弟の全有を外へ出し、私に頼むように、出ていってほしいと言いました。そうしないと、そのうちいつか面倒なことが起こるかもしれないというのです。

 おばさんは、今すぐに出て行くように言いました。私は必至になって置いて貰えるよう懇願しましたが、おばさんは頑として聞き入れてくれませんでした。私はもはや出ていくほかありませんでした。おばさんに一礼をして、ここに数日置いてもらえたことに感謝しました。

 趙おばさんの姓が「趙」でなかったらよかったのに。趙玉恒の家が偶然にも「趙」であったりしなければよかったのに。私はぼんやりとして、まるで浮草の旅人のようになり、どのようにしてこの家の門を出たのか覚えていません。

 趙おばさんのあまりの無情さに、私は身も心も崩れてしまいそうでした。私は弟と二人、この敷居をまたいで初めて中国人の家に入りました。来てしばらくは、毎日この門を出入りしました。ところが今、私はもうこの門を自由に出入りすることができなくなったのです。

 私は知らぬ間に大通りまでやって来ましたが、どこに行けばいいかも分からず、一人そこに立ち尽くしました。沙蘭にはもう私の行くところはありません。親戚もなく、友人もなく、一体私はどこに身を寄せればいいのでしょうか。

 呆然と立ち尽くす私の傍を、人が何人か通り過ぎて行きました。その中に私は孫おじさんの姿を見つけました。私は、まるで命綱をつかまえたかのように、すぐに「孫おじさん」と叫びました。おじさんは、私の叫び声を聞きとめると、すぐに立ち止まりました。私は先日家から逃げてきたことなどを、一部始終話しました。

 孫おじさんは聞き終わると憤った様子でしたが、「捨てる神あれば拾う神あり」と言って、私を慰めてくれました。それから、私を区役所に連れて行き、区長の張広林さんに引き合わせ、私の事情を話してくれました。

 張区長はとても心のやさしい人で、私の境遇に同情してくれ、しばらくの間私を区役所の衛生関係職員の女性宿舎に泊めてくれることになりました。

 その翌日、区長は蘭家村の村役場を通じて、私と趙家の「トンヤンシー」の売買婚姻関係を解除すると通知を出してくれました。それだけでなく、張区長は私が学校に行けるよう手配までしてくれ、「もう趙玉恒の家を恐れる必要はない。隠れることもない。これからは正々堂々と学校に行って勉強すればいい」と言ってくれました。

 張区長は痩せて背の高い人で、面影は優しく、慈悲に満ちていました。話口調はいつもおっとりしており、親しみと信頼が感じられました。区長は謝家と親戚で、翌日自ら謝おばあさんのもとを訪ね、おばあさんの家にしばらく住まわせてくれるよう説得してくれました。区役所から毎月私の食糧分を提供することになりました。

 謝家はもちろん、私が家に入って仕事をすることに賛成でした。この数か月、趙玉恒に会わせるために養母から家に呼び戻されるまではずっと、謝おばあさんの家で仕事をし、みんなにとても気に入られており、おばあさんの他の娘たちまで私が手伝いに行くのを喜んでいたのですから。

 謝おばあさんは、最近私が蘭家村から逃げだしたという噂を耳にして、私の消息を尋ねて回っていたそうです。

 (続く)