子供の教育に役立つ 心に残る9つの物語 (中)

【大紀元日本11月19日】古代中国では身を修めることが重んじられ、子どもへの教育は、人格を磨き、訓練することが重要視されていた。それに関連する逸話や物語はたくさん伝えられており、現代人にとって学ぶ価値の高い内容のものも残っている。その中で、心に残る逸話をここに紹介する。

暗闇の中の天使

天気予報で間もなく台風が上陸すると伝えられると、小さな港町に住む人々は急にあわただしくなった。忙しくしている母親のそばで、小さな娘が一人遊びをしていた。

「まったく、台風はいやね・・・」と母親は片づけながら、ため息をついた。

「私は、台風が好きよ」と娘は小さな口を開いた。

「どうして台風が好きなの?」

「前に、台風が来たら停電になったでしょう。その時、私がロウソクを持ってお家の中をあちこち歩いている姿が天使のようだとお母さんが言ってくれたから」と娘は無邪気に答えた。

その話を聞いた母親は思わず手もとの仕事を止め、小さい娘を抱きあげて頬にキスをした。そして、「あなたはいつまでも私の天使よ」と優しく微笑んだ。

花が咲いたテーブル:道楽者に改心のチャンスを与えよう

昔、ある寺の住職が、年の若い和尚を特別にかわいがっていた。住職は今まで習得したものを全部この和尚に伝授し、将来、立派な仏教徒にさせるつもりだった。しかし、若い和尚はある日俗念が生じ、こっそりと山を下りてしまった。きらびやかな都会生活に魅了された和尚はその後、色町にも出入りし、気ままに遊び暮らすようになった。

20年が経ち、ある月の非常に明るい晩のことだった。堕落した生活に明け暮れた和尚は、手のひらを明るく照らす月の光を眺めて、ふと後悔の念が生じた。彼は、すぐに着替えて寺院へ急ぎ、住職の許しを請うた。しかし、住職は彼の放蕩ぶりを嫌悪し、受け入れようとしなかった。「あなたの罪は深く、きっと地獄に落ちるでしょう。供え物を置くテーブルに花が咲かなければ、仏様のお許しはないでしょう」と和尚に冷たく言い放った。和尚は落胆して寺院を去った。

翌日、住職が仏堂に入ると驚くべき光景があった。テーブルの上に、花がたくさん咲いているのだ。すぐに悟った住職は急いで山を下り、弟子を探した。しかし、時はすでに遅く、意気消沈してやる気を失った和尚は、再び放蕩の生活に戻っていた。仏堂のテーブルに咲いた花は、わずか一日で終わった。その夜、住職は遺言を残し円寂した。遺言には、「この世には、誤った道から戻れないことはなく、誤りを正せないこともない」と記されていた。

本当に改めたいと思う善なる一念は、まるでテーブル一面に咲いた花のようであり、奇跡である。しかし、その奇跡をいとも簡単に消してしまうのは、過ちを犯したことではなく、信じてあげられず、許しを与えないという冷たい心である。

 (翻訳編集・加藤まゆみ)