母に感謝する「母の日」

【大紀元日本5月7日】日頃の母の苦労を労わり、感謝を表す「母の日」。遠く離れた母親に電話をかけたり、プレゼントを送ったりして感謝の気持ちを伝える人も多いでしょう。

「母の日」の由来は、古代ギリシャの時代までさかのぼります。当時のギリシャ人は、毎年春になると伝説の中の諸神の母で、人類の母の象徴でもあるキュベレーのために盛大な祝いの宴を開いたといわれています。

翻って、現代の「母の日」の礎を築いたのはアメリカ人のアン・ジャービスという夫人でした。彼女は10人の子どもを育て、心優しく愛情に溢れた人だったといわれています。

ジャービス夫人はアメリカのグラフトン教会の日曜学校で教師をしていました。黒人奴隷の解放が目的だった南北戦争が終わり、彼女は学校で終戦記念日(Remembrance Day)のカリキュラムを担当していました。

彼女は幼い子どもたちに、戦死した英雄のストーリーを話しているとき、ある思いが頭に浮かびました。「戦争を勝利に導いた勇敢な戦士たちを育てたのは、母親ではないのか」。息子が戦死し、最大の苦難に耐えているのはこれらの世に知られていない母親たちであると気づき、母たちを記念する「母の日」を制定しようと考えました。これらの平凡な女性たちに、感謝の意を表すのが目的だったのです。しかし、ジャービス夫人はこの願いを叶える前にこの世を去りました。

娘のアンナ・ジャービスさんは母親の奉仕活動や子育ての苦労を良く知っていたので、この祝日の制定が母親たちにとって必要であると感じていました。彼女は数十通もの手紙を国会へ送り、地方の州議員や婦人団体などへ「母の日」を制定するよう提案しました。彼女の呼びかけはその後、多くの人々から支持されました。

1914年、アメリカ大統領のウィルソン氏は、毎年5月の第2日曜日を「母の日」として制定しました。その後、母の日は世界中で支持され、43カ国がこの日を祝日と定めました。今では、「母の日」は国際的な祝日となったのです。

ジャービス夫人は生前、カーネーションの花が好きでした。アンナさんが亡き母を偲び、白いカーネーションを教会で配ったことからカーネーションが「母の日」のシンボルとなりました。アメリカでは胸にカーネーションをつけたり、家に飾ったりして母の日を祝います。母親が健在な人は、赤やピンクなどの花をつけて感謝の気持ちを表し、母親を亡くした人は、白い花をつけて悲しみを表します。

日本では、戦後「母の日」を5月の第2日曜日と定めました。贈るのはカーネーションの花ばかりでなく、服飾、食料品、各種サービスなど、ギフトの種類は多岐にわたっています。

(翻訳編集・李頁)