中国崑崙山の仙人(7) 応霊

【大紀元日本12月19日】

前書


本文は、私が知り合った先天道を修めた平先生(500歳)の経歴を記録したもので、文章はすべて記憶によるものである。何人かの人の記憶を統合したもの、または私と平先生の間であった途切れ途切れのいくつかの対話を元に書いたものであるため、文の繋がりがよくないと感じるところもあると思われる。私はそれらを一つに統合し、論理的な文脈を整えるため、想像を使った文字を加える場合があったが、事実を離れた記述はない。平先生との経験から、私は世の中の多くの出来事は人が思っているものとはまったく違うということが分かった。本文を読んだ後、多くの人は考え方が変わると思う。

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四、応霊(2)

これらの「応霊」は、集まると霊となり、物にも変化できるので、一般の人には見えないし、遭うこともない。高い次元の神霊は、みんな世の中に、自分に対応する身があるが、場合によっては、生物であったり、物質であったり、さらに空気の中で充満しているものであったり、様々だ。これらのことは、ただ人に知られていないだけで、それを知るには、彼らと同じレベルの高い次元に達していなくては、知ることのできないことである。

また、平先生は、自分は人類の僅かなことしか知らないが、宇宙はとても膨大で、複雑であると言った。無極から太極が生まれ、太極からまた両義が生まれ、そこからさらに四象、八卦、五行などが生まれる。下に行けば行くほど、次元は低くなり、五行となると、我々がいるこの三界のことであるが、我々は皆この五行の境界内にあるのだ。平先生の師父は、太極の上位にある無極にも、数え切れない、もっと高い境界の、もっと高い次元の神々がいるが、人類に知られることが許されていないため、誰にも知らされることがなかったと彼に教えたという。

また、私たちがいるこの小さい三界、いわゆる五行の世界も、とても複雑であって、天上、地上、地下の無数の生命空間があるという。天上にも次元の異なる多くの天があり、地上にも、人類の空間と似たような多くの空間があり、地下にも低い次元の霊の空間がたくさんあるというのだ。

私はこれらの空間はいったいどんな模様であるのか、と彼に聞いた。アインシュタインの相対性理論は異なる時空の存在について言及しているが、具体的に描かれてはいない。ただ、異なる速度に、異なる空間が存在すると書かれているだけである。また、科学者のホーキングは、ブラックホールの巨大引力は、時空を弯曲させ、時空トンネルを形成すると述べているが、それらの時空の詳細については、誰も述べたことがなく、私もイメージすることができない。サイエンス・フィクションの中にも、時空のことが少し書かれているが、それらは真実ではなく、想像の産物にすぎないのだ。

平先生はこう教えてくれた。一つの時空は一つの生命の世界であって、一つの広大な世界である。人類世界の全ては、言わば地球、月、太陽、そして地上の全ての生命は、一つの同じ時空にある。他の時空は、人類の目には見えないが、それらの時空の影が偶然に現れる場合もある。例えば、蜃気楼などがそうであるが、それらは接触できないし、すぐに消えてしまうのだ。

物理学を学んでいる人は、蜃気楼は、光線の屈折により形成すると言っている。蜃気楼の多くは海上の空中に現れ、物理学では、光の屈折により、海の向かい側へ渡り、そこの光景が目に入る、とされている。

その説の正否はさておき、よく考えてみると、海は果てしなく、海を挟んで、向かい側の光景が人間の目に見えるだろうか。それに、空気中のほこりや雑物を通して見ることになるので、それはまるで、数キロメートル離れたところから一本の髪の毛を見るのと同じである。そんなものが、人間の目の可視度では、見えるはずがない。

しかし、蜃気楼は、はっきりと見えて、比較的に大きく見えることが多く、細部までも見える場合がある。これらのことに関して、私はただ自分の見方を述べるだけで、本気で信じる必要はない。神話として聞いてもらってもいい。しかし、古来の神話のストーリーを、ただ面白いからという理由で理解する人に比べて、一部の人は、何かの本質を見通すことのできる賢明さを持っているのだ。仁者は仁を見て、智者は智を見るものだ。

また、平先生は、古人の言う「境界」という言葉も、一般の人には理解できないだろうと言った。彼らはただ字面の意味を知るだけで、本当の意味は知らない。実は、一つの時空は、まさに一つの境界であり、境界が指しているのは、時空の次元である。さらに、それは修行する人の次元とも関連しており、境涯の高い人は、貫く時空の次元も高く、境界も高くなり、この宇宙の中の位置も高いという。

ここまで聞くと、私は突然一つの疑問が浮かんだ。

「天上には仙人がいると言うが、今は、月まで登れるようになった。なぜそこには仙人がいないのだろうか?」

平先生はこう答えた。宇宙は丸く、地球も丸く、三界も丸いので、我々人類がいう「上」と「下」という説は、実際には存在しない。

このことは、私も理解できる。それはまるで、私たち中国人は、地球の上にいて、アメリカ人が下にいると言い、アメリカ人も、彼らは上にいて、私たちが下にいると言うのと同じで、実は、誰も「上」にはいないのだ。

続いて平先生は、三界の中の本当の「天上」は、人類が言っている雲の上ではなく、三界の中の「地下」も、土の下ではないと言った。それは人類の誤った理解であって、宇宙の中には、いわゆる「上」と「下」の区別がないのだという。宇宙でいう「上」は、空間境界の次元の「高さ」であって、方位でいうところの「上」ではない。言い換えれば、高い境界を「上」と、低い境界を「下」と言うのだ。古代に人々が言った、「仙人が天上に昇る」というのも、実は雲の上に昇るのではなく、高い境界の時空へ入ることを指しているのだ。

私は、人間が知っていることは本当に限りがあるばかりか、多くのことは間違っていると思った。私は、昔の人が言っている「あの世」は、他の時空のことで、人が死んだら、みんなそこへ行くのかと、彼に尋ねた。彼は、「あの世」は、実は三界内の一つの空間であって、地下の閻魔王がいるところだと話した。人が死んだ後、全ての人がそこに行くわけではなく、よくない行いをした人だけがそこに行く。善行を積んだ人は、三界内の、人類の空間より高い次元の空間に行くのだという。三界内には、人類の空間より高い次元の空間が数え切れないほど多くあるという。そして、あまり良くない人、罪を犯した人は、死後、閻魔王がいる「あの世」に行って、そこの裁判を受け、地獄に落ちるか、また六道輪廻に入るというのだ。

また、一部の人には、悪いことをしたら、すぐにいろいろなことが起きて、その罪を償うようになるが、これは「現世応報」という。しかし、一部の人は、以前に大きな徳を積んでおり、その徳がまだ消えていないので、報いがまだ来ていない場合もある。一番怖いのは、罪を償う資格さえ失った人たちである。神様は、彼らはもう罪を償う価値さえないと見なしているという。彼らを待っているのは、絶えず消えない苦痛であり、形神(肉体と精神)が消えるまで、その苦しみは続くのだ。

私は平先生の話に驚き、彼が何でも知っていることに感心した。しかし、彼は、自分が知っていることには限りがあり、浅薄な知識にすぎないが、一人だけ本当に、何でも知っている人がいると言った。たが、この方は、とても神秘な人で、彼がいったいどこから来たのか、彼が誰なのかは、誰も知らないという。将来、彼が私の師父になるという。私には大きな福があり、かつて彼と縁を結んだことがあり、数年後に彼と出会うが、今はまだその時期が来ていないという。平先生を含め、多くの人は、彼の弟子になることのできる私のことを、とても羨ましく思っているという。将来、私は全ての真実を知るようになり、師父との縁を大切にすることになると言うのであった。

また、彼が今生、私と知り合ったのも、遥かな昔からの決め事であり、ただ自分の使命を果たすだけであったという。私たちは遥か昔に、既に深い縁を結び、今生は、再びその縁を続けることであったと彼は言うのだ。

(翻訳編集・柳小明)